インチョン空港を出てすぐ、車で全羅北道の全州に向かった。3時間ほど高速道路を走った後、全州に到着する直前になって、持ってきたノートパソコンを空港の到着ロビーに置き忘れたことに気づいた。そのときの焦燥感と脱力感を何と表現したらいいだろうか。
韓国滞在中にパソコンで作業することが少なからずあったのに何もできない。データの多くは iCloud に保存していたから心配ないものの、仕事するのに身体の一部のようになっているパソコンがないと何もできない。そんな不安感というより強迫観念に包まれてしまった。
焦燥感はまさにこの強迫観念に根ざしていたと思う。ほかの人よりは遅く、93年にノート型パソコンを購入した。NEC NOTE 9801 という、当時もっとも小型で軽量なノートだった。その年に夜間の大学院に入学し、論文を執筆するために必要だった。仕事でも使った。
パソコンではなくワープロとして使った。通信するときだけドライブを接続してCD-ROMを挿入するという、今では考えられない使い方だった。インターネット、検索機能など一切ない。そういえば、インチョン空港に置き忘れたパソコンは LaVie ZERO だが、軽量という点、NOTE 9801 と共通している。とはいえ、僕がずっと NEC だけを使ってきたわけではない。前に使っていたノート型 Acer の重さが辛くなって変えたのだ。
顧みれば、70年代の半ばに、タイプライターは手動から電動に代わった。80年代に入ったころ、タイプライターがワープロに代わった。パソコン通信が始まったのは、85年ごろではなかったろうか。過去40年におけるITの進化というか変化は著しい。その最前線にスマホがあるように見える。
インチョン空港でノートを2日間紛失した小事件を通して、PCに依存するしかない、現代人の仕事と生活を考える。同時に、同空港のセキュリティの高さに深く感謝したいと思う。대단히 감사합니다.