老いを考える

数年前に心筋梗塞で緊急入院し手術を受けて一命を取り留めた父が、きのう急に歩行困難となり、二度目の入院をした。数ヵ月前から苦にしていた腰痛が悪化したためという。

前回入院したとき、初めの病院で医者や看護士の指示に応じないばかりか、点滴の管を強引に外したり騒ぐなどして迷惑をかけたが、今回も同じように病院関係者の指示を聞こうとせず、手こずらせている。

救急車が到着したとき、父を搬送しようとする隊員の言うことを聞かなかったといい、そもそもなぜ自分が搬送されなければならないのか理解しなかったようで、タンカーに乗せるまでに半時間ほど要したらしい。

緊急入院させられた翌日、本人に向かって前日の抵抗ぶりを話したが、救急車で搬送されたことも入院させられたことも記憶にないようだった。かなり興奮していたはずだが、その前後の記憶が欠落しているのだ。

昔から頑固者ではあったが、いまや、それは資質の程度を越え、あきらかに病質になっている。だだっ子ならぬ<だだ爺[じい]>とでも呼ぶべき老人になった父を見るのはつらい。

約50年前、両親が離婚に至るまでの修羅界をなぜか思い出した。包丁を持って父を切り付けようとする母、母の信仰の対象に手をかけようとする父の姿が脳裏に浮かぶ。

入院するたびに騒ぎを起こす父の姿が、50年前の半狂乱の姿に重なる。二つの姿のあいだに大きな隔たりはない。老人の不可解な挙動を老化や認知症だけで説明してはいけないように思う。

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