2000年代初めから韓国ドラマをみている僕は自称「韓ドラファン」である。すべてではないが、歴史・恋愛・家族愛・学園・アクションものなど、広く渉猟している。
毎晩、韓国ドラマをみることが生活習慣病になっており、最近はそのせいか高血圧を患うまでになった。数年前から、そのこじつけのプロットに対し、不満というより怒りを感じるようになったためだ。
ドラマのプロットが型にはまっていて、ストーリーを追うのが馬鹿らしくなった。少し前までは、気に入ったドラマがあると、ブログに感想を載せていたのに、最近は以前ほど共鳴することがない。僕が変化したのだろうか。
そんなことを考えながら、以下「吹けよミプン」(原題: 풀어라 미픈아)を材料に、韓ドラについて述べようと思う。このドラマを毎回欠かさずにみたし、嫌っているわけではない。後述する韓国ドラマの要素をすべて備えるこの作品が、この文章を書くきっかけを与えてくれた、ということだ。
題名にもなっているとおり、主人公はミプンだが、実際には次の 1.から 4.の家族ないし親子関係をめぐって必然性のないプロットが進行してゆく。5.の最終章も予想どおり、形だけの制裁が行われ、数年後にはハッピーエンディングで終わる。脇役ながら、シネの子役の演技がすばらしかった。あの子を通してすべての登場人物を見る視点で構成することもできたはずだ。
- 弁護士の青年チャンゴと彼の父方の祖母を含む三世代家族がこのドラマの主たる場面だ。彼の父はドラマの冒頭に登場するが、交通事故で他界し、回想シーンにしか登場しない。チャンゴが彼の恋人・結婚相手ミプンをめぐり母親と対立する。母親は経済的社会的な幸福を願うというが、彼女のミプンとその家族に対する態度は度を超していて辟易する。母親と長男及びその結婚相手との対立が、このドラマのテーマの一つだろう。母親が脱北してきたミプンの家族を見下す態度も不快だが、あるいは韓国社会の脱北者に対する差別意識を映しているのかもしれない。
- 北朝鮮の上流階層の出身で、後に脱北し、ソウル市内に住むミプン(本名スンヒ)とその母親、ミプンの弟の子のユソン。脱北するとき、ミプンの弟とともに死んだはずの父親が、後半に記憶喪失者として登場する。ミプンとチャンゴは二人を含む双方の家族がマカオにいた小中校生のとき(ドラマの冒頭数回)から恋愛する運命にあったという設定だ。上流階層にいたミプンの家族は脱北し、盗難に遭い労苦の末、韓国に来てからはチャンゴの助けを拒絶しながらも受け入れるしかない。チャンゴの母親はそれが我慢ならない。
- 孤児院出身のシネ。北朝鮮でミプンの家族と同居し、ミプンの家族が脱北するとき追いすがり、彼らの手持ちの全財産を奪って逃亡した。北朝鮮で極貧の家に生まれ、早くに母親を亡くして、ミプンの家族の世話になった。そんなシネがミプンの祖父の財産目当てでヒドンに近づいて結婚し、その後孫娘と偽ってミプンの祖父の家と会社を横領しようとする。定番の遺伝子検査で歯ブラシを差し替える手口だ。シネが主人公かと誤解するくらい、周囲の者を騙し、子ども騙しの手口でミプンを排除し陥れることをくり返す。すべての嘘が暴かれ、最後は自分の娘を孤児院に預けて死のうとする。
- ミプンの祖父(平壌出身の脱北者で実はミプンの父方の祖父、韓国で財を築いた成功者)と同居している祖父の甥とその家族、甥の長男ヒドンがシネに騙され翻弄され続ける。ヒドンの母親は金銭に貪欲なため、シネの嘘は知りながら共犯者となる。ヒドンの父親が、バランス感覚を持つ人物として描かれるが、その彼もシネの義父となり、息子は騙され続けたあとシネを追って家出し、妻はシネの共犯者となって逮捕され、翻弄される。ミプンの母親に引かれ助けるが、結ばれない。
- 例によって、最後の数回でようやく悪女たちの悪が暴かれ、シネは娘を捨てて死のうとするが、怒り狂ったヒドンがそうさせない。逃亡を続けたあと逮捕され、その義母(ヒドンの母)とともに刑務所に入って同室で諍いを続ける。チャンゴの母親は寺に隠遁するが、三者ともいかにも表面的な悔恨であり、貪欲な面だけがいたずらに強調され、騙しの手口の見せ場に堕している。
なお、僕が考えるプロット(筋立て)とは、登場人物の性格描写やドラマのテーマを表現するために必須のものである。現実的な必然性があるか、非現実的ではあっても性格描写やテーマを引き出す効果があるものをいう。その効果がないものは、いくらおもしろい場面があっても、その単なる連続はストーリーを構成しないし、ドラマというに値いしない。そう考えている。
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