「非現実的な、あまりに非現実的な韓国ドラマ(1)(2)(3)」にも書いたとおり、韓国ドラマの欠点は次のようなものだと考える。これらの欠点を長所として捉える人もいるだろう。いずれにしても、僕の個人的な考えにすぎない。
韓国ドラマの欠点と思われるもの
- リアリズムの欠如、現実に迫ろうとする意識が不足しているのではないか。韓国の視聴者にはリアルな描写に映るのだろうか。あるいは、僕の個人的な見方の問題だろうか。
- 心理描写、性格描写の不足。定型化された人間類型が有効な時代もあったと思うが(たとえば10年前)、時代が変わり、国や地域を越えてどこまで通用するのか。韓国ドラマに普遍性を求めなくてもよいのだが。
- 登場人物がすべて絡み関係し合う人間関係の希薄さといい加減さ。ストーリーが閉鎖的で矮小化していると考える。だから、おもしろくない。
- 小説にせよ、ドラマにせよ登場人物の関係がそのストーリーのなかで完結するのはいい。ただ、その前提として、登場人物の性格描写や時代設定、場面設定が「現実的」に緻密に行われる必要があると考える。それが不足している、ということだ。
- 偶然、すれ違い、悪事の連鎖が続くこじつけに近いプロット。それがもたらす現実との乖離。韓国ドラマの世界でしか通用しない現実感覚。この場合も「現実性」の吟味が求められるのではないだろうか。
- これらすべてに共通する非現実感(現実の軽視)、人間観察の浅薄さが韓国ドラマの質に限界をもたらしていると考える。
- やゝ辛辣かもしれないが、おおかた正鵠を得ているかと思う。ただ、上の解釈だと、かつて世界的な広がりを持った韓国ドラマの普遍性が奈辺にあったのか、説明できない。たとえば、10年前には創造性があって、現在は失ってしまったとか。
ここでドラマの枠外に出て、ドラマの供給者である脚本家や制作者と受容者である視聴者の関係について考えてみたい。当然ながら、僕は視聴者の立場で考える。
制作者と視聴者の関係
- 供給者は視聴者を感動させようとか、あるテーマについて掘り下げようという考えをあまり持っていないようだ。
- テーマがあっても問題提起に終わっている。視聴率のためだけに制作しているようにみえる。
- 小手先の悪知恵を絞り出して、これでもかこれでもか、と悪玉が悪事を企て嘘を重ねていく。
- ドラマの供給者は視聴者を愚弄しているのではないか、そうとしか考えられない。
- エンターテイメント性が豊かともいえるが、その制作姿勢に人間社会に迫ろうとする真摯な誠実さがあるようにはみえない。
- ドラマとはいえ、真摯に生きようとしている人を子ども騙しの悪知恵で翻弄してはいけない、というのが、やゝ古めかしい僕のドラマ観である。