日韓関係のこじれから学ぶ

統治行為とは、直接国家統治の基本に関わる高度に政治性のある国家行為のことだ。そして、統治行為論とは、法律的な判断を下すことが可能であっても司法審査権は及ばないとする理論だそうだ。

日本と韓国において統治行為論そのものに対する考え方が異なるのではないか。三権分立の運用方法が違うのではないか。そういう基本的な食い違いがあるなら、そもそも議論が噛み合うことはあり得ない。

日本における多数説は、統治行為の観念とその適用される領域の存在を認めつつ、包括的・一般的にではなく、個々の行為ごとに吟味を行い、個別的・実質的論拠を十分に示すことができる場合にのみこれを認め得るとする限定的肯定説だそうだ。

韓国では過去の政権が外国政府と結んだ条約も批判され、大法院が政府から独立した審査を行うことが認められている。同じく自由主義経済と民主主義を掲げていても、かなり異なった社会体制とみるべきではないだろうか。まずは互いに異った社会体制であることを認める必要がある。

面倒なことだが、そういう作業を行わないと生産的な議論はできない、感情的なやり取りの連鎖に陥ってしまう。そんなことみなわかっているさ、と言われそうだが、浅学を顧みずに書いておく。今回の日韓関係のこじれから僕が学習したことだ。

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