映画「心の傷を(いや)すということ」をみた。昨年NHKが制作したドラマの劇場版だ。

20年余り日本について学び日本社会になじもうとして日本語を流暢(りゅうちょう)に話し、日本人のようになろうと努力し、いまは韓国人であることを自覚するようになったという韓国人と二人でみた。この一文の「日本」を「韓国」に、「韓国」を「日本」に置き換えると、僕の生きざまに重なるように思う。LGBT の transgender になぞらえれば transborder, transboundary [国境を越えた/越境の]ということだろう。

この用語と関連づけることで「在日」という言葉に広がりを持たせることができるかもしれない、この映画を通じて得た最大の収穫だ。そして、この広がりは「在日」にとどまらないはずだ。ふと、70年前後にあった「辺境」という雑誌を思い出した。この誌名は pioneer と訳されていたと記憶する。

二百席以上ある映画館にたった十人しかいない、その中ほどに二人隣り合ってすわっていた。映画に似たような場面があった。後に妻となる終子と主人公は在日コリアン同士だが、地下を列車が通る映画館の一席置いた同じ席で「東京物語」(1953)を二度みている。二度目は聞きのがした原節子(1920-2015)のせりふを聞くためだったが、やはり列車の通過と重なり騒音で聞き取れない。この偶然が二人を近づける。

映画の主人公は(あん)(通名は安田)という在日で、小学校4年生のとき(Osaka Expoのうちわが映っていたので1970年だろう)、在日だと知らされる。鏡台の引き出しにあった母親の外国人登録証を見て母親に尋ね、両親とも韓国籍で彼を含む三人兄弟も在日韓国人だと伝えられる。長男は東京の大学に進み、原子物理学を専攻する父親自慢の秀才である。次男の主人公も秀才で日本人の友人とともに地元の大学の医学部に進み、親に相談することなく精神科医になる。高校生のころから彼が(した)ってやまなかった恩師に導かれたのだ。

主人公が在日だったこと、彼の両親と兄弟が在日だということが映画全篇を通して訴え続けられる。在日という視座から日本社会をみた映画だということもできる。10歳のころからずっと在日だった彼は単なる若き精神科医ではなく、「在日の精神科医」だったのだ。在日が「在日の—」なのは当然と考える人もいるだろうが、そういう意味ではない。「在日の精神科医」だからこそみえる世界があり、そのことが「心の傷をいやす」ことと大いに関係している、[越境]が創造的に作用していると考えた。

1996年、主人公は精神科医として阪神淡路大震災に遭遇する。被災者でごった返す街なかや病院、体育館のなかを神経科の安という名札を付けて歩く姿は、彼を含む人々の苦悩のなかで模索する悩める人そのものだ。その心労が(たた)ったかのように彼は若くしてガンに倒れる。いかにも残酷で理不尽(りふじん)で腹立たしい。その理不尽さが悲しかった、(なみだ)がにじんでマスクにしみた。隣りに僕が泪したことを知る人がいてよかった。