老いた少年

70年代初めに神保町の書店で一年余り一緒に仕事をし、親しかった友人がいる。無類の本好きで、長年古書店に勤めていた。少年っぽいところがあったからか女性にもてたが、社交的ではなかった。その後、職場も変わり疎遠になり、たまに連絡しあうだけとなった。交信手段は携帯電話だけで、50年前の電話とあまり変わらない。

1ヵ月ほど前、その老少年から電話があった。電車に乗っていた僕はあわてて降り、駅構内の静かなところに移って約30分話した。もしや、僕が死んでいるかと思うと怖くて、なかなか電話できなかったという。入退院を繰り返しながらも元気だが、足の痛みがひどく、外出はほとんどできないようだ。夫人と二人暮らしで、近くに娘夫婦がいて孫もいる。近々、訪ねて行くことにして、電話を切った。

翌週、何年かぶりの再会を果たした。彼の最寄り駅近くにあるとんかつ屋の個室で向き合って話し込んだが、何を話したのか、近況を伝えた以外はあまり覚えていない。少しさびしい気もするが、たがいに元気でいることを確かめるために会ったのかもしれない。

とんかつ屋を出たあと、僕はもう少し話したかったが、彼にはあまりその気がなかったのだろう。駅のほうに向かって踏み切りをわたると、<シアトル教会>があった。その通りに面したテーブル席に誘ったのは僕のほうだった。

そこにいる間、僕は彼のスマホにSNSを設定する作業に費やした。二人のあいだのやり取りを容易にしたかったのだが、彼はそれを好まなかったようだ。ただ、その場では何も言わずに僕がするままに任せていた。ひとこと言ってくれていたら、相応の対応ができたろうに。

一週間後、SNSで電話をしても受けなかったので、在来の電話を使って連絡すると、受けとった。僕がSNSを使うように促すと、「いったい何様だと思ってるんだ、己は使わないから」と言う。「とにかく、もういいから」と言って切られてしまった。後味の悪い電話だったが、向こうも同じだったろう。

このまま二度と会わないかもしれない。その蓋然性が高いだろう。親しい間がらというのも案外もろいものだ、と思った。

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