馬鹿は死ななきゃ…

11月に入って2週間で「浮雲」1887-90、「舞姫」1890、「たけくらべ」1895、「三四郎」1908、「ヰタ・セクスアリス」1909、「雁」1911-13、「こゝろ」1914、「濹東綺譚」1937 を以下の順に読んだ。どれも高三か浪人期に読んだもので70歳を過ぎて再読したことになる。

とはいえ、はじめから読み直そうと思ったわけではない。2年前からある試験勉強に取り組み、ことしの7月末にインターネットで受験申込みしたはずが、試験直前に手続きが完了していなかったことが判明した。この阿呆らしいしくじりから立ち直ろうとして、むかし親しんだ小説の世界に逃避したのである。

この信じがたい失敗がなければ、これらの「青春小説」を読むことはなかっただろう。再読して驚いたのはすべての小説について新たな解釈と知見を得たことだ。以前は字面だけ追っていたようにさえ思われる。試験勉強にも新たな局面が開けることを期待する自分はどこまで愚か者なのだろう。「馬鹿は死ななきゃ治らない」とはよくいったものだ。

2 thoughts on “馬鹿は死ななきゃ…”

  1. 自分を馬鹿で何らかの競争のloser(敗者)だと思うと、世のなかの景色が違ってみえる。なかなか得がたい視点だ。たとえば、僕も含めてスマホを見続ける人々は脱腸症ならぬ脱脳症の患者である。つねに自らの脳内を世間に曝しているからだが、その中身はほとんど変わらない。いや似通っていることに安心するのだ。だから見せびらかして恥じるところがない。

  2. A comment by one of my friends:
    남들도 그러니까 더욱 더 자신이 하는 행동이 부끄러운 줄 모른다…제가 그렇다. 부끄러운 게 아니라 몰랐던, 모르는 자신에 대해 화가 난다.

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