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郷愁 nostalgia

萩原朔太郎が蕪村(1716-1784)を再評価した「郷愁の詩人 与謝蕪村」を読んだ。前回読んだのは高三のときだったろう。もう50年以上前のことだ。朔太郎は序文で次のように述べている。

…著者は昔から蕪村を好み蕪村の句を愛誦あいしょうしていた。しかるに従来流布るふしている蕪村論は全く著者と見る所を異にして、一も自分を首肯しゅこうさせるに足るものがない。よってみずから筆を取り、あえて大胆にこの書をあらわし、著者の見たる「新しき蕪村」を紹介しようと思う…蕪村俳句の本質を伝えれば足りるのである。

著者のいう「蕪村俳句の本質」こそ<郷愁の詩人>なのである。それはとりもなおさず詩人朔太郎(1886-1942)の本質であろう。

高三の夏休み前に朔太郎全集(新潮社版)を購入し、夏休みに入るや母には受験勉強だと言って、背表紙が革製の全集のうち二冊と数十冊の文庫本を持ち、鈍行の夜汽車を乗り継いで岡山県の中国山系にある鉱山町に向かった。そこに単身赴任していた父の家に下宿し、夏休みのほとんどを好きな本の世界に没頭した。蕪村に関心を持ったのは朔太郎の影響だったろう。

一浪して大学に入ったものの、学生でいることに意義を見出せないまま不登校となった。70年前後から在日や隣国に関心を寄せる。朝鮮語を学ぼうと思ったが、気に入った学校を見つけられなかった。当時、韓国語という名称は使われておらず、どこも政治的な傾向を帯びていたように思う。いい加減な僕は、文革の影響もあって内山書店の奥で中国語を学ぶことにした。朝鮮語以上に政治的な選択をしたわけだ。案の定、3ヵ月ほどでやめてしまった。

週刊朝日(72.4.21)に김지하キムジハの「蜚語ひご」が掲載され、むさぼるように読んだ記憶がある。翻訳で読んでも行間にみなぎる力に圧倒され、韓国の学生運動に日本のそれにない社会性を感じた。当時日本橋にあった三中堂で原書を購入したが、歯が立たなかった。延世大学語学堂の英語で書かれたテキストを入手し、独学で勉強した。大学書林の「朝鮮語の基礎」も通読した。発音はKBSと平壌ピョンヤン放送を聴いて覚えた。

73年に韓国の航空会社の東京支店に入社したが、日本人で韓国語ができるのは僕だけだったと思う。出社した日に上司に呼ばれ、北のなまりを指摘され狼狽ろうばいした。当時はスパイといわれるに等しかったからだ。金大中キムデジュン事件(73年)や文世光ムンセグァン事件(74年)が継起けいきし、日本における韓国イメージは最悪だった時期である。なぜ、あの時期に韓国に引かれたのだろう。振り返ってもよくわからないのだ。

出身地や学歴、出自や階層、所属団体などにもとづいて差別する社会に対する反発があったことは間違いないが、なぜそれが隣国に向かったのか定かではない。幼少期を過ごした鉱山町への郷愁だろうか。東北地方の水沢で過ごした2年間に対する郷愁だろうか。アイデンティティの喪失感そうしつかんにともなうあせりから在日に親近感を覚えたのだろうか。

酒を友に4.2万kmの自転車旅1982-83/89年

中学時代の同級生にテントと自転車で地球一周に相当する距離を走った男がいます。いまから40年前、1982年に北米大陸を横断し(約150日)、83年に入ってヨーロッパ(約300日)と北アフリカ(約70日)を周遊し、香港(5日)・台湾(約20日)を経て帰国しました。走行距離は3.1万キロだといいます。

1989年には、地球一周に相当する4万キロを走破したいとの望みを達すべく、日本列島を約160日かけて自転車で一周(1.1万キロ)しました。この旅を終えたとき、彼は40歳になろうとしていました。1980年代、スマホもラインもなかった時代のことです。彼が一日も欠かさなかったのはブログではなく各地のビールやワイン、酒や焼酎でした。各地で酒を酌み交わし英語と現地語、あるいは日本語で話した相手は数十人、いや百人を超えるでしょう。

自転車たびを記録しつづけた手帳

彼は5年ほど前に数年かけて手書きの手帳と写真をもとにブログを執筆しました。PCを使わないので、すべてスマホ入力です。いま、その文章をもとに縦書き文庫に執筆中で、北米大陸横断を終え、ヨーロッパと北アフリカを走っているところ、まだまだ続きます。タイトルは地球一周分にふさわしく長くなりました。40年前、旅の仕方も通信手段もまったく異次元の世界です。

自転車たび1982-83/北米・欧州・北アフリカ・香港・台湾

走った国と地域は順に-米国-カナダ-英国-スペイン-ポルトガル-モロッコ-アルジェリア-チュニジア-イタリア-ギリシャ-ブルガリア-ユーゴスラビア-ハンガリー-オーストリア-スイス-西ドイツ-デンマーク-スウェーデン-ノルウェー-オランダ-ベルギー-フランス-香港-台湾-日本、1980年代、スマホもインターネットもなかった時代の700日、のどかな自転車たびをお楽しみください。

蛇足(だそく)ながら、当初はアフリカに行く予定はなかったようです。82年12月、ポルトガルに滞在していた寒さ嫌いの彼はアフリカに行けば暖かいだろうと信じ、フェリーに乗ってモロッコへ行きました。期待に反し、そこも冬だったとか…(わら)うに笑えない話しです。

日本のえと(干支、兄弟)

ことしは寅年とらどし、十干十二支によれば壬寅ジンイン(임인)で、九星では五黄ごおうにあたるそうです。壬寅を<みずのえとら>、訓読みで干支とあることは兄弟を<えと>と読ませるのもむずかしい。比較しやすいように簡単な表を作りました↓。韓国では「黒い虎」年というようです(みずのえ=黒)。

日本のえと(兄弟)

兄弟(えと)と九星

スマホで見るときは、画面をヨコに回転してくださいね。

https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/968828.html

母方の祖父

上野駅周辺を歩いていると、いつしか70年代の서울の光景と二重映しになる。その記憶のさらに遠くに母方の祖父の姿が浮かぶ。

[祖父は孫のなかでも僕を特にかわいがってくれた。母が末娘だったからだろうか。ときどき家に来ては庭の草取りをし、垣根かきねのヒバをってくれた。高校受験のためA市に行ったのも祖父と二人だった。最後の蒸気機関車の旅だった。汽車がトンネルに入るとすすが入ってきて、祖父があわてて窓枠をおろした。あのときの祖父の笑顔、煤でざらざらした木の窓枠、学生服の袖口から出た白いシャツ、汽笛の音のなかにそんな映像が浮かぶ。地方の農村で育った祖父は若いころ田畑を処分して夫妻で上京し、上野駅構内でスリに襲われて、全財産を失った。途方とほうにくれた祖父はバナナのたたき売りから始め、上野のほおずき市や植木市を転々として、もうけの多い植木と生花商に落ち着いた。一緒にふろに入ると、かめの子たわしでごしごし背中を洗わされた。どんなに力を入れても痛いと言わない。よく笑いながら僕をしかったが、僕も笑っている。そんな祖父と目の前の老人がどこかでつながっている]

1932年に完成した上野駅の広小路口駅舎

「無宗教」という宗教性

川村元気氏(1979-)の『神曲』(新潮社 2021年11月)に関するインタビュー記事を読んだ。映画監督であり脚本作家であり小説家である同氏が宗教をテーマに父親・母親・娘という三者の相異なる視点から描いた作品のようだ。

この家族には、不慮の死というには余りに悲惨な死に方をした息子がいた。父親は息子がほかの小学生とともに殺された事件の現場にいたが、何もできなかった。そのことをいつまでも妻と娘に責められるのだろう。

記事を読んで、現代日本社会の様相を鋭く分析していると思った。著者は、父親から徹底した映画教育を受け、母親からキリスト教という信仰の影響を強く受けているようだ。幼いころから聖書を繰り返し読み、その物語が著者の血肉になっているとも分析している。よく自分自身を省察していると思う。

この作品を読んでみようか、と思うのは、僕が日本社会を「無宗教性」が支配する社会として捉えるからで、その点で著者の見方と共通するところがあると考えている。Kポップのもつ世界性の基盤にキリスト教があるのではないかという著者の考察も興味深い。

宮澤賢治「雨ニモマケズ」を読む

「雨ニモマケズ」を縦書き文庫で読んだ(青空文庫より)。「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」とある行は「ヒデリノトキ」と習ったが、賢治の死の翌年に発見された手帳には「ヒドリノトキ」とあったそうだ。

1980年代後半、賢治の教え子の一人が「農家にとって日照は喜ぶべきものであり、『ヒドリ』は日雇い仕事の『日取り』を意味するもので『日雇い仕事をせざるを得ないような厳しい暮らしのとき』と原文通りに読むべきである」と主張したという。[wikipedia]

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

(c) t.livepocket.jp 1931.11.03 Miyazawa Kenji

底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房 1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行
※本文については写真版を含む本書によった。また、改行等の全体の体裁については、「【新】校本宮澤賢治全集 第六巻」筑摩書房1996(平成8)年5月30日初版第1刷発行を参照した。
入力:田中敬三 校正:土屋隆
2006年7月26日作成 2019年1月21日修正
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

「銀河鉄道の夜」を読む

「銀河鉄道の夜」初期形一と題された文章を縦書き文庫で読んだ。「銀河鉄道の夜」の草稿のようなものだろうか。同文庫には作品検索の上から順に次の4版が収録されている。

  1. 「銀河鉄道の夜」初期形一 11,458字
  2. 銀河鉄道の夜 40,750字
  3. 銀河鉄道の夜 日本文学100選 76,361字
  4. 銀河鐵道の夜 44,751字

後半部分で列車が停車して同乗客が降り、友人のカムパネルラも去る。そのあとでジョバンニは「さあ、やっぱり僕はたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ」と言う。

賢治が法華経(ほけきょう)行者(ぎょうじゃ)を任じ、デクノボウのような不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)(はん)としていたことを思う。そして、ジョバンニの独白が意味するところを考える。

…そして見てゐるとみんなはつゝましく列を組んであの十字架の前の天のなぎさにひざまづいてゐました。そしてその見えない天の川の川の水をわたってひとりの神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。けれどもそのときはもう硝子の呼子は鳴らされ汽車はうごき出しと思ふうちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。
…そのときすうっと霧がはれかゝりました。どこへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。それはしばらく線路に沿って進んでゐました。そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はちゃうど挨拶でもするやうにぽかっと消えて二人が通って行くときまた点くのでした。ふりかへって見るとさっきの十字架はもうまるでまるで小さくなってほんたうにもうそのまゝ胸にも吊されさうになりさっきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまづいてゐるのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかもうぼんやりしてわかりませんでした。
…ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そしてはげしく胸をうって叫びました。「さあ、やっぱり僕はたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかゝって光りつゞけました。「あゝマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」
…「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」「あゝではさよなら。」博士はちょっとジョバンニの胸のあたりにさわったと思ふともうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなってゐました。
縦書き文庫「銀河鉄道の夜」初期形一より抜粋

縦書き文庫: 宮沢賢治の作品

下線部の作品タイトルをクリックすると縦書き文庫版で読むことができます。

(1万字以上のタイトルを太字にしました)
一九三一年度極東ビヂテリアン大会見聞録 4,667字
「銀河鉄道の夜」初期形一 1万1,458字
銀河鉄道の夜 4万0,750字 2
春と修羅 第三集 修羅詩集 2万6,112字
詩ノート 3万2,700字
〔モザイク成り〕354字
〔聖なる窓〕320字
〔あくたうかべる朝の水〕343字
〔くもにつらなるでこぼこがらす〕299字
〔かくまでに〕305字
〔こゝろの影を恐るなと〕301字
〔島わにあらき潮騒を〕359字
〔せなうち痛み息熱く〕889字
隼人 484字
〔土をも掘らん汗もせん〕383字
敗れし少年の歌へる 478字
〔夕陽は青めりかの山裾に〕491字
中尊寺〔二〕345字
農学校歌 403字
〔われはダルケを名乗れるものと〕467字
〔廿日月かざす刃は音無しの〕394字
〔ひとひははかなくことばをくだし〕625字
不軽菩薩 412字
火渡り 315字
火の島 289字
県道 347字
スタンレー探検隊に対する二人のコンゴー土人の演説 737字
〔雪とひのきの坂上に〕346字
駅長 382字
宗谷〔一〕349字
〔なべてはしけく よそほひて〕498字
〔雲ふかく 山裳を曳けば〕302字
釜石よりの帰り 344字
祭日〔二〕373字
看痾 269字
宗谷〔二〕655字
製炭小屋 379字
〔棕梠の葉やゝに痙攣し〕388字
〔このみちの醸すがごとく〕347字
〔こはドロミット洞窟の〕318字
小祠 357字
対酌 588字
〔霜枯れのトマトの気根〕327字
〔鉛のいろの冬海の〕548字
国柱会 401字
秘境 512字
僧園 376字
〔青びかる天弧のはてに〕347字
校庭 334字
宅地 320字
〔われらひとしく丘に立ち〕398字
〔いざ渡せかし おいぼれめ〕340字
〔馬行き人行き自転車行きて〕681字
496字
開墾 323字
機会 312字
〔月光の鉛のなかに〕284字
294字
雪峡 310字
〔そのかたち収得に似て〕297字
〔たゞかたくなのみをわぶる〕329字
〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕556字
〔館は台地のはななれば〕342字
〔二川こゝにて会したり〕511字
百合を掘る 641字
四八 黄泉路 697字
病中幻想 382字
訓導 363字
職員室 410字
烏百態 541字 1
〔甘藍の球は弾けて〕295字
〔雲を濾し〕311字
〔郡属伊原忠右エ門〕331字
〔洪積の台のはてなる〕412字
〔鷺はひかりのそらに餓ゑ〕302字
水部の線 316字
セレナーデ 恋歌 381字
〔卑屈の友らをいきどほろしく〕389字
〔つめたき朝の真鍮に〕314字
月天讃歌(擬古調)610字
〔ま青きそらの風をふるはし〕415字
〔まひるつとめにまぎらひて〕352字
〔ゆがみつゝ月は出で〕363字
〔りんごのみきのはひのひかり〕380字
〔※[#「日+令」第3水準1-85-18]々としてひかれるは〕335字
〔われかのひとをこととふに〕317字
会計課 334字
田園迷信 467字
八戸 501字 1
講後 646字
〔ながれたり〕1,205字
楊林 318字
雹雲砲手 316字
青柳教諭を送る 269字
開墾地 306字
饗宴 598字
幻想 639字
こゝろ 296字
〔こんにやくの〕305字
〔霧降る萱の細みちに〕534字
樹園 336字
春章作中判 454字
隅田川 624字
遊園地工作 403字
〔弓のごとく〕336字
〔われ聴衆に会釈して〕501字
〔われらが書に順ひて〕581字
いちょうの実 1万1,605字
さいかち淵 2万1,862字
ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記 5万2,780字
春と修羅 第二集 修羅詩集 5万9,676字
イーハトーボ農学校の春 1万1,349字
みじかい木ぺん 1万6,759字
或る農学生の日誌 4万9,469字
十六日 2万0,323字
サガレンと八月 1万7,085字
バキチの仕事 8,968字
泉ある家 1万7,964字 1
手紙 一 4,046字 1
手紙 二 3,527字 1
手紙 三 4,485字 1
手紙 四 6,208字 1
朝に就ての童話的構図 2,975字 1
土神ときつね 2万1,686字 1
雁の童子 4万0,838字
4,790字
鹿踊りのはじまり 4万6,172字 1
ペンネンノルデはいまはいないよ太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ 3,659字
ポラーノの広場 2万5,075字
マグノリアの木 1万3,533字
ラジュウムの雁 870字
龍と詩人 2,636字 1
疑獄元兇 3,086字
〔蒼冷と純黒〕1,764字
花壇工作 1,875字
あけがた 2,301字
510字
沼森 1,349字
704字 1
丹藤川〔「家長制度」先駆形〕748字
大礼服の例外的効果 1,486字
チュウリップの幻術 2万6,436字 2
シグナルとシグナレス 3万8,491字
ざしき童子のはなし 6,492字 2
風野又三郎 6万1,174字
『春と修羅』修羅詩集 8万7,008字
蛙のゴム靴 1万4,690字
月夜のけだもの 9,089字
畑のへり 3,320字
洞熊学校を卒業した三人 1万4,884字
まなづるとダァリヤ 5,034字
革トランク 5,863字
毒蛾 1万2,658字
二十六夜 6万1,611字
雪渡り 1万2,332字 1
銀河鉄道の夜 日本文学100選 7万6,361字 3
マリヴロンと少女 4,813字
文語詩稿 一百篇 2万3,013字
フランドン農学校の豚 2万5,539字
葡萄水 7,718字
氷河鼠の毛皮 1万1,896字
ひのきとひなげし 8,536字
『春と修羅』補遺 修羅詩集 7,425字
林の底 1万0,831字
花椰菜 4,111字
化物丁場 1万0,154字
楢ノ木大学士の野宿 3万4,892字
なめとこ山の熊 1万3,122字
どんぐりと山猫 8,915字 1
鳥箱先生とフウねずみ 5,710字
とっこべとら子 7,215字
床屋 2,659字
『注文の多い料理店』新刊案内 1万1,739字
『注文の多い料理店』序 1,013字
『注文の多い料理店』広告文 4,775字
注文の多い料理店 日本文学100選 8,987字 2
タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった 1万0,266字
種山ヶ原 4万4,584字
税務署長の冒険 2万7,294字
郷土喜劇 7,614字
十月の末 9,102字
山地の稜 4,993字
蜘蛛となめくじと狸 1万3,923字 1
気のいい火山弾 5,856字
烏の北斗七星 9,266字 1
家長制度 1,507字
かしはばやしの夜 1万3,246字
かしわばやしの夜 1万5,427字
学者アラムハラドの見た着物 2万0,942字
カイロ団長 1万6,305字
いてふの実 5,316字 1
秋田街道 4,176字
ポランの広場 4,720字
二人の役人 1万8,949字
7,890字
疾中 5,937字
セロ弾きのゴーシュ 日本文学100選 1万9,804字 2
双子の星 2万5,851字 1
さるのこしかけ 8,820字
よく利く薬とえらい薬 6,336字
北守将軍と三人兄弟の医者 1万9,072字
農民芸術概論綱要 3,281字
農民芸術概論 682字
耕耘部の時計 1万7,576字
狼森と笊森、盗森 1万3,739字
…ある小さな官衙に関する幻想… 7,096字
電車 2,697字
土神と狐 1万7,549字 1
月夜のでんしんばしら 6,088字
ツェねずみ 6,620字 2
水仙月の四日 1万0,844字
クねずみ 6,783字
グスコーブドリの伝記 3万2,489字 2
ひかりの素足 2万7,760字
鹿踊りのはじまり 1万5,379字
紫紺染について 2万2,023字
一幕 8,660字
黄いろのトマト 1万6,641字
イギリス海岸 5万2,852字
若い木霊 7,976字
山男の四月 9,255字
柳沢 7,650字
祭の晩 6,798字 1
台川 3万5,110字
風の又三郎 日本文学100選 4万3,040字
オツベルと象 日本文学100選 6,391字
よだかの星 日本文学100選 5,873字
やまなし 日本文学100選 6,010字
虹の絵具皿 (十力の金剛石) 3万4,974字
黒ぶだう 4,108字
虔十公園林 8,452字 1
鳥をとるやなぎ 9,150字
植物医師 郷土喜劇 1万0,493字
猫の事務所 …ある小さな官衙に関する幻想… 1万0,041字 2
饑餓陣営 一幕 1万7,024字
ビジテリアン大祭 8万4,938字
ありときのこ 7,429字 1
凾館港春夜光景 1,190字
茨海小学校 2万7,489字
銀河鐵道の夜 4万4,751字 2
月夜のでんしんばしらの軍歌 2,014字
花巻農学校精神歌 566字
星めぐりの歌 442字
〔雨ニモマケズ〕日本文学100選 769字 1
農民芸術の興隆 2,229字

馬鹿は死ななきゃ…

11月に入って2週間で「浮雲」1887-90、「舞姫」1890、「たけくらべ」1895、「三四郎」1908、「ヰタ・セクスアリス」1909、「雁」1911-13、「こゝろ」1914、「濹東綺譚」1937 を以下の順に読んだ。どれも高三か浪人期に読んだもので70歳を過ぎて再読したことになる。

とはいえ、はじめから読み直そうと思ったわけではない。2年前からある試験勉強に取り組み、ことしの7月末にインターネットで受験申込みしたはずが、試験直前に手続きが完了していなかったことが判明した。この阿呆らしいしくじりから立ち直ろうとして、むかし親しんだ小説の世界に逃避したのである。

この信じがたい失敗がなければ、これらの「青春小説」を読むことはなかっただろう。再読して驚いたのはすべての小説について新たな解釈と知見を得たことだ。以前は字面だけ追っていたようにさえ思われる。試験勉強にも新たな局面が開けることを期待する自分はどこまで愚か者なのだろう。「馬鹿は死ななきゃ治らない」とはよくいったものだ。

鷗外の「雁」を読む

「小説をかく時、觀察の態度をきめやうと思ふ時は雁と灰燼とを讀返す」と永井荷風が評した鷗外の「雁」(1911-13)を読んだ。以前は高利貸の妾と医学生の恋愛として理解したつもりになっていたが、そう単純ではない。薄幸な妾の心理をみごとに活写しているが、彼女を囲う男とその妻の心理描写も優れている。世人が疎んじる職業に従事する者の怜悧さと男性の沽券ともいうものをよく描いている。

岡田の友人であるナレーターの語り、父親と玉の貧しいながら仲睦まじい暮らし、騙されて妻子持ちの警官に嫁いだ玉の不幸、学生相手の金貸業から始めて高利貸になった末造の自負心、父親を思い妾になる玉の薄幸さ、末造に抱かれながら岡田を思う玉の女心、カナリアを襲う青大将や岡田が投げた石に当たって死ぬ雁が暗示する不気味なものの存在、すべての描写が巧妙に絡み合い飽きさせない。

物語の最後で岡田はドイツに留学する。鷗外自身の経験(1884-88年ドイツ留学)が反映されていると考えることもできる。玉に「舞姫」のエリスを重ねてみることもできなくはないのではないか。