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「大菩薩峠」を読み直す(2)

「大菩薩峠」の後半部 Oceanの巻で著者は、幕末の勘定奉行だった小栗上野介こうずけのすけ(Oguri Tadamasa 1827-1868)について西郷隆盛ほかと比較しながら再評価している。やや長いが青空文庫から引用する。

Oceanの巻から引用したのは学者肌の元旗本・駒井甚三郎と幕末の勘定奉行・小栗忠順のつながりこそが、この長編小説の作者の歴史観を示唆していると考えるからだ。小説上の駒井も実在の小栗もともに二千数百石の旗本である。

「明治維新」 Meiji Restoration という用語そのものが明治政権の見方以外の何ものでもない。「維新」を restoration (復元、返還)と英訳したのは本来あるべき形を復したという考え方そのものである。70歳を過ぎてこんなことに考えが及んで何になるというのか。

「大菩薩峠」 Oceanの巻 五
 これより先、海鹿島
あじかじま
から伊勢路の浦へ上陸した御用船の一行がありました。これも役人は役人だが、ただの役人ではない。軽装し測量機械を携え日の丸の旗を押立てたところを見ると、どうしてもこれは幕府の軍艦奉行の手であるらしい。
 この一行は、しかるべき組頭
くみがしら
に支配されて、都合八人ばかり、測量器械をかついで歩み行く、つまり軍艦奉行の手の者が、海岸検分の職を行うべく、この地点に上陸したものでしょう。
 ところで、とある小高い岩の上へ来て、組頭の一人が遠眼鏡をかざした時に、黒灰くろばい浦の引揚作業の大景気を眼前に見ました。
 それは肉眼でも見えるほどの距離を、かねて地勢をそらんじているところではあるし、その群集と、群集の中での作業、これから何事に取りかかろうとするのだか、職掌柄それを眼下に見て取ってしまったから、組頭の顔の色が変りました。不興極まる気色
けしき
を以て、遠眼鏡を
はず
し、部下の者を顧みて、
「おい、あれは何だ」
と一人に言いました。
「左様でござります」
 部下の一人は、一応その人だかりの方をながめてから恐る恐る、
「高崎藩の手の者が、黒船を引揚げるといって騒いでおりました」
「ナニ、高崎藩で黒船を引揚げる?」
「左様でございます、先年、あの黒灰浦に、多分オロシャのであろうところの密猟船が吹きつけられて、一艘
いっそう
沈んでしまいました、密猟船のこと
ゆえ
に、船を沈めてそのままで立去りましたのが、今でもよく土地の者の問題になります、それを今度、高崎藩が引揚げに着手するという
うわさ
を承りましたが、多分その騒ぎであろうと思います……」

しからん……」
 組頭は最初から機嫌を損じておりましたが、いよいよ
おもて

けわ
しくして、再び遠眼鏡を取り上げ、
「よく見て来給え、何の目的でああいうことをやり出したのか、屹度
きっと
問いただして来給え、次第によっては、その責任者をこれへ同道してもよろしい」
 この命令の下に、早くも軽快なのが二人、飛び出して行きました。組頭が不興な色を見せるのみならず、一隊の者が残らずそれに共鳴して、岩角の上から黒灰の浦を
にら
めている。
 けだし、これらの人々の不快は、自分たちが幕府の軍艦奉行の配下として、この近海に出張している際において、自分たちに一応の交渉もなくして、海の事に従事するというのは、たとえ高崎藩であろうとも、佐倉藩であろうとも、生意気千万である。
 ことに自分たちの奉行は、当時海のことにかけては、誰も指をさす者のない勝安房守
かつあわのかみ
であることが、虎の威光となっているのに、それを眼中におかず、ことに外国船引揚げというような難事業を、彼等一旗で遂行
すいこう
しようという振舞が言語道断である。そこで軍艦奉行の連中が、自分たちの首領の威光を無視され、自分たちの権限をおかされでもしたように、腹立たしく思い出したものと見える。
 かくて、彼等は測量のことも抛擲
ほうてき
して、岩角に立って黒灰浦の方面ばかりを激昂する
かお
で見つめながら使者の返答いかにと待っているが、その使者が容易には帰って来ないのがいよいよもどかしい。
 もとより、眼と鼻の間の出来事とはいえ、使者となった以上は、実際も検分し、且つ、先方の言い分をも相当に傾聴して帰らぬことには、役目が立たないものもあろう。しかし、こちらは視察よりは、むしろ問責の使をやったつもりですから、返答ぶりの遅いのに、いよいよ
らされる。
「ちぇッ、緩怠至極
かんたいしごく
の奴等だ」
 いらだちきった組頭は、この上は、自身糺問
きゅうもん
に当らねば
らち
が明かんと覚悟した時分、黒灰浦の海岸の陣屋の方に当って、一旒
いちりゅう
の旗の揚るのを認めました。
 そこで組頭は、再び気をしずめて遠眼鏡を取り直して、その旗印をながめたが合点
がてん
がゆきません。旗の揚ったことは組頭が認めたのみではなく、配下の者がみな認めたけれど、その旗印の何物であるかは、遠眼鏡のみがよく示します。
 上州高崎松平家か、その系統を引くこの地の領主大多喜
おおたき
の松平家ならば島原扇か
たちばな
、そうでなければ、俗に高崎扇という三ツ扇の紋所であるべきはずのを、いま、遠眼鏡にうつる旗印を見ると、それとは似ても似つかぬ、丸に――黒立波
くろたてなみ
の紋らしいから、合点がゆかないのです。
 そこで組頭は、またも配下の一人に遠眼鏡を渡しながら、
「あの旗印はありゃ何だ、君ひとつ、よく見当をつけてくれ給え」
「なるほど」
 それを受取った配下の一人がしきりに考えこんでいると、組頭が
「高崎の紋ではないじゃないか」
「仰せの通りでございます、丸に立波のように見えますが」
「その通りだ、拙者の見たのも丸に立波としか見えない、が、丸に立波はどこだ」
「左様でございます」
 彼等残らずが一つの旗印を見つめて、不審の色を、いよいよ濃くしてしまいました。
 最初には掲揚されていなかった旗じるし、多分時間から言ってみると、これはさいぜん、詰問にやった配下の者の交渉の結果であろう、その交渉の結果、彼等はこの旗印を掲揚することになったと思われるが、掲げられてみるとこちらからは、それがいっそう不可解の旗印となって現われてしまいました。
 高崎松平も、大多喜松平も、どう間違っても、丸に立波の紋を掲げるはずはないのだから、ここで
いたず
らに当惑するのも無理がないと見える。しかしもう少し落ちついて、この丸に立波の旗印から考えて行ったならば、多少思い当るところがあったかも知れないが、この一隊は、最初から意気込んでおりました。
 つまり、何藩にあれ、何人にあれ、われわれ幕府の軍艦奉行の手の者をさし置いて、その面前で沈没船引揚作業を行うというのが、軍艦奉行というものを無視しているし、ことに当時の軍艦奉行が凡物ならとにかく、日本全国に向って名声の存するところの、勝安房守というものの威光にも関するという腹があったのだから、安からぬことに思い、親しく出張して、一つには
の出しゃばり者に、たしなみを加え、一つには使者に
つか
わした配下の者どもの緩怠を屹度
きっと
叱り置かねば、役目の威信が立たぬようにも考えたのでしょう。
 この一隊は、測量をそっちのけにして、勢いこんで浜辺を進みました。
 この勢いで、高崎藩の陣屋へ
せつけた日には、ただでは済むまい、火花が散るか散らないかは先方の出よう一つであるが、どのみち、ただでは済むまいと見てあるうち、幸か不幸か、先刻遣わした使者の者が二人、きわどいところで、ばったりと本隊にでっくわしたものです。
「どうした、エ、何をしていたのだ君たちは」
 組頭は、充分の怒気を頭からあびせかけると、二人の使者は、さっぱり張合いがなく、
「いやどうも、少々とまどいを致して、力抜けの
てい
でございました、それがため復命が遅れて申しわけがござりませぬ、万事はあの旗印を御覧下さるとわかります」
 彼等は旗印を指さしたが、その旗印こそ不審千万なので――そこで追いかけて彼等が説明していうことには、
「御覧下さい――あれはお勘定奉行の諒解
りょうかい

もと
にやっている仕事でございます、しかも作業の発頭人
ほっとうにん
は、もとの甲府勤番支配駒井能登守殿であるらしいことが、意外千万の儀でございました」
 それを聞いて、組頭の面の上にかなり狼狽
ろうばい
の色が現われました。
「ははあ……」
 これも拍子抜けの
てい
で、改めて、翩翻
へんぽん
とひるがえる旗印を見直すと、丸に立波、そう言われてみれば、
まご

かた
もない、これは勘定奉行の小栗上野介殿
おぐりこうずけのすけどの
定紋
じょうもん

 その旗印が小栗上野介の定紋であるのみならず、なお奇怪にも聞えるのは、その旗印の下に仕事をしているのが、以前の甲府勤番支配駒井能登守らしいと言われて、彼等は夢を見たように、ぼんやりと考えさせられてしまいました。小栗を知るほどの者は、駒井を知らないはずはなかろうと思われる。
 しかし、小栗が隆々として、一代の権勢にいるのに、駒井は失脚以来、その生死すらも疑われている。七十五日は過ぎたが、その人の
うわさ
というものは、時事の急なる時と、急ならざる時、人材が有るとか、無いとかいう時には、必ず誰かの口から引合いに出されねばならないことになっている。
 さては没落と見せたのは表面で、内々は小栗上野介と謀を通じて、隠れたる働きをしていたのか、油断がならない――と軍艦奉行の組頭が、この時はじめて恐怖を催しました。軍艦奉行の威勢も、勘定奉行の権勢にはかなわない。さすが勝安房守の名声も、小栗上野介の旗印の前には歯が立たないということを、この時の賢明なる軍艦奉行配下の組頭が心得ていたのでしょう。
 高崎藩ならば、大多喜藩ならば、一番おどかしてもくれようと意気込んで来た一隊が、急に悄気
しょげ
こんで、
「ははあ、ではやむを得ないところ」
 旗を巻いて、進軍の歩調が、すっかり
にぶ
ってしまいましたが、拳のやり場を
てい
よくまとめて、またも以前の方面へ引返したのは、少なくとも組頭の手際です。
 ほどなくこの一隊は、君ヶ浜方面に向って、なにくわぬ
かお
で測量をはじめました。一方、引揚作業の方面では、十分に焚火で身をあぶった海人海女が介添船に乗る。駒井甚三郎は、別に一隻の小舟に、従者一人と例のマドロスとを打ちのせて――そのいずれの船にも丸に立波の旗印が立っている。
 この作業にあたって、駒井が最初から、勘定奉行の小栗上野介の諒解
りょうかい
を得ているというのは、ありそうなことです。そうでもなければ、こうして白昼大胆に、こんな作業が行われるはずはない。そうして、小栗と駒井との関係は、特にこの機縁だけで結ばれたものではあるまい。
 駒井は洲崎
すのさき
の造船所から海を越えて、しばしば相州の横須賀へ渡っている。相州の横須賀に、幕府の造船所が出来たのは昨年のこと。相州横須賀の造船所が、主として小栗上野の方寸に出でたものであることは申すまでもない。
 横須賀の造船所がしかるのみならず、講武所も、兵学伝習所も、開成所も、海軍所も、幕府の新しい軍事外交の設備、一として小栗の力に待たぬものはない。勝安房
かつあわ
(海舟
かいしゅう
)の如きも、小栗に会ってはその権勢、実力、共に頭が上らない。
 駒井も、旗本としては小栗と同格であり、その新知識を求むるに急なる点から言っても、どうしても、相当に相許すところがなければならないはずになっている。駒井が洲崎から、しばしば横須賀に往復する時分、ある幕府の要路の、非常に権威の高い人が、微行で洲崎の造船所へ来たことがあると、働く人が言っている。その人品骨柄を聞いてみると、それが小栗上野であったようにも思われる。
「大菩薩峠」 Oceanの巻 六
 小栗上野介の名は、徳川幕府の終りに於ては、何人
なんぴと
の名よりも忘れられてはならない名の一つであるのに、維新以後に於ては、忘れられ過ぎるほど、忘れられた名前であります。
 事実に於て、この人ほど維新前後の日本の歴史に重大関係を持っている人はありません。それが忘れられ過ぎるほど忘れられているのは、西郷と勝との名が急に光り出したせいのみではありません。
 江戸城譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房という松助以上の脇師
わきし
と二人の手によって、猫の児を譲り渡すように、あざやかな手際で幕を切ってしまったものですから、舞台は二人が背負
しょ
って立って、その一幕には、他の役者が一切無用になりました。歴史というものは、その当座は皆、勝利者側の歴史であります。勝利者側の宣伝によって、歴史と人物とが、一時眩惑
げんわく
されてしまいます。
 そこで、あの一幕だけ
のぞ
いた大向うは、いよ御両人!というよりほかのかけ声が出ないのであります。しかし、その背後に、江戸の方には、勝よりも以上の役者が一枚控えて、あたら千両の看板を一枚、台無しにした悲壮なる黒幕があります。
 舞台の廻し方が、正当(或いは逆転)に行くならば、あの時、西郷を向うに廻して当面に立つ役者は、勝でなくて小栗でありました。単に西郷とはいわず、いわゆる維新の勢力の全部を向うに廻して立つ役者が、小栗上野介
おぐりこうずけのすけ
でありました。小栗上野介は、当時の幕府の主戦論者の中心であって、この点は、豊臣家における石田三成と同一の地位であります。
 ただ三成は、
せても枯れても、豊太閤の智嚢であり、佐和山二十五万石の大名であったのに、小栗は僅かに二千八百石の旗本に過ぎないことと、三成は野心満々の投機者であって、あわよくば太閤の故智を襲わんとしているのに、小栗は、輪廓において、忠実なる徳川家の譜代
ふだい
であり、譜代であるがゆえに、徳川家のために
はか
って、且つ、日本の将来をもその手によって打開しようとした実際家に過ぎません。
 ですから、石田三成に謀叛人
むほんにん
の名を着せようとも、小栗上野をその名で呼ぶには躊躇
ちゅうちょ
しないわけにはゆかないはずです。徳川の天下になってから、石田は、一にも二にも悪人にされてしまっているが、明治の世になって、小栗の名の
うた
われなくなったとしてからが、今日、彼を石田扱いの謀叛人として見るものは無いようです。
 小栗上野介が、自身、天下を望むというような野心家でなかったことは確かとして、そうして彼はまた、幕府の保守側を代表する、頑冥
がんめい
なる守旧家でなかったことも確実であります。
 小栗は、一面に於て最もすぐれたる進歩主義者であり、且つ、少しの間ではあったが、これを実行するの手腕と、地位とを、十分に与えられておりました。
 彼が最初――新見、村垣らの幕府の使節と共に米国に渡ったのは僅かに二十余歳の時でありました。或いは三十余歳。しかも、この二十余歳の青年赤毛布
あかげっと
は、他の同僚が、西洋の異様な風物に眩惑されている間に金銀の量目比較のことに注意し、日本へ帰ってから、小判の位を三倍に昇せたほどの緻密
ちみつ
な頭を持っておりました。ほどなく勘定奉行の地位を得、またほどなく財政の鍵を握って、陸海軍の事を
ぶるの地位に上ったのも、当然の人物経済であります。
 勝でも、大久保でも、その手足に過ぎないし、講武所も、兵学所も、開成所も、海軍所も、軍艦の事も、火薬の事も、造船の事も、徴兵も、郵便も、今日まで功績を残している基礎に於て、彼の創案になり、意匠に出でぬというもののないこと再論するまでもない。
 その人となりを聞いてみると、酒を
たしな
まず、声色
せいしょく
を近づけず、職務に勉励にして、人の堪えざるところを為し、しかも、和気と、諧謔
かいぎゃく
とを以て、部下を服し、上に対しては剛直にして、信ずるところを言い、貶黜
へんちゅつ
せらるること七十余回ということを真なりとせば、得易
えやす
からざる人傑であります。
 小栗上野介が、単に人物として日本の歴史上に、どれだけの大きさを有するか、それは成功せしめてみた上でないと、ちょっと論断を立て兼ねるが――少なくとも、明治維新前後に於ては、軍事と、外交と、財政とに於て、彼と並び立ち得るものは、一人も無かったということは事実であります。
 この人が、徳川幕府の中心に立って、朝廷に
そむ
くのではない、薩長その他と戦わねばならぬ、と主張することは、絶大なる力でありました。長州の大村益次郎が、維新の後になって、小栗の立てた策戦計画を見て舌を捲いて、これが実行されたら薩長その他の新勢力は鏖殺
みなごろ
しだ! と戦慄
せんりつ
したというのも嘘ではあるまい。かくありてこそ、大村の大村たる価値がわかる。西郷などは、この点に於ては、
はなは
だノホホンです。
 小栗の立てた策戦は、第一、聯合軍をして、箱根を越えしめてこれを討つということ、第二、幕府の優秀なる海軍を以て、駿河湾より薩長軍を砲撃して、その連絡を
ち、前進部隊を自滅せしめるということ、更に海軍を以て、兵庫方面より二重に聯合軍の連絡を断つこと、等々であって、よしその実力には、旗本八万騎がすでに
死し心
えたりとはいえ、新たに仏式に訓練せる五千の精鋭は、ぜひとも腕だめしをしてみたがっている。会津を中心とする東北の二十二藩は無論こっちのものである。
 聯合軍には海軍らしい海軍は無いのに、幕府の海軍は新鋭無比なるものである――そうして、その財政と、軍費に至っては、小栗に成案があったはずである。
 かくて小栗は十分の自信を以て、これを将軍に進言、というより
せま
ってみたけれど、
たん
死し、気落ちたる時はぜひがない、徳川三百年来、はじめて行われたという将軍直々
じきじき
の免職で、万事は休す! そこで、西郷と勝とが大芝居を見せる段取りとなり、この不遇なる人傑は、上州の片田舎に、無名の虐殺を受けて、英魂未だ葬われないという次第である。
 形勢を逆に観察してみると、最も興味のありそうな場面が、幕末と、明治初頭に於て、二つはあります。その一つは、右の時、小栗をして志を得せしめてみたら、日本は、どうなるということ。もう一つは、丁丑
ていちゅう
西南の乱に、西郷隆盛をして成功せしめたら、現時の日本はどうなっているかということ。
 この答案は、通俗の予想とは、ほとんど反対な現象として現われて来たかも知れない。右の時、小栗を成功せしめても、世は再び徳川幕府の全盛となりはしない。
 もうあの時は徳川の大政奉還は出来ていたし、小栗の頭は、とうに郡県制施行にきまっていたし、よしまた、ドレほど小栗が成功したからとて、彼は勢いに乗じて、袁世凱
えんせいがい
を気取るような無茶な野心家ではない、郡県の制や、泰西文物の輸入や、世界大勢順応は、むしろ素直に進んでいたかも知れない。
 これに反して、明治十年の時に西郷をして成功せしむれば、必ず西郷幕府が出来る。西郷自身にその意志が無いとしても、その時の形勢は、明治維新を僅かに建武中興の程度に止めてしまい、西郷隆盛を足利尊氏
あしかがたかうじ
の役にまで祭り上げずにはおかなかったであろう。
 西郷は自身、尊氏にはならないまでも、尊氏に祭り上げられるだけの器度(?)はあった。小栗にはそれが無い。すべて歴史に登場する人物というものは、運命という黒幕の作者がいて、みなわりふられた役だけを済まして引込むのに過ぎないが、西郷は、逆賊となっても赫々
かくかく
の光を失わず、勝は、一代の怜悧者
りこうもの
として、その晩年は独特の自家宣伝(?)で人気を博していたが、小栗は
うた
われない。
 時勢が、小栗の英才を犠牲とし、維新前後の多少の混乱を予期しても、ここは新勢力にやらした方が、更始一新のためによろしいと贔屓
ひいき
したから、そうなったのかも知れないが、それはそれとして、人物の真価を、権勢の都合と、大向うの山の神だけに任しておくのは、あぶないこと。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000283/files/4508_14285.html

「大菩薩峠」後半部 Oceanの巻から引用したのは駒井甚三郎という学者肌の開明派と幕末の勘定奉行、小栗忠順のつながりこそが、この長編小説の作者の歴史観を如実に述べていると考えるからだ。小説上の駒井も実在の小栗もともに二千数百石の旗本である。

「明治維新」 Meiji Restoration という用語そのものが明治政権の見方以外の何ものでもない。「維新」を restoration (復元、返還)と英訳したのは本来あるべき形を復したという考え方そのものである。70歳を過ぎてこんなことに考えが及んで何になるというのか。

two decades of friendship

韓国の友人と20年ぶりに再会した。周りを気にすることなく、しばらくひしと抱き合った。二人が出会ったのは1998年だった。韓国文化院に勤めていた彼と講談社系の財団で韓国語教育事業を担当していた僕はすぐに打ち解けた。たがいの経歴を話し、韓国と日本の仏教について話すなか、二人が所属する組織の事業とネットワークを総動員する一つの事業計画がまとまった。両者の求めるものが一致したのだ。

日本の高等学校で韓国語教育にたずさわる教員のための研修事業を実施する事業だった。いつもみを絶やさない彼の人柄ひとがらのおかげだろう。1ヵ月余りった8月に東京猿楽町さるがくちょうの韓国YMCAで第1回韓国語教師研修会を開催した。すべての条件が必然となって押し寄せたような時期だった。

Geumpyung and Goolee at Shinjuku Gyoen greenhouse

「大菩薩峠」を読み直す(1)

中里介山なかざとかいざん(1885-1944)の「大菩薩峠」を50年ぶりに読み始めた。ぐいぐい引き込まれ、一気に10巻ほど読んだ。前回は「世界一の長編」と知って読んだのだが、半分ほどで放り出したと思う。[写真: 大菩薩観光協会「大菩薩の風景」より転載]

今回読むまでは、主人公とされている机竜之介りゅうのすけの「音無しの構え」ぐらいしか覚えていなかった。だが、今回は読み方が違う。前半だけでも、裏宿うらじゅく七兵衛(江戸中期青梅に実在した義賊と同名)、医者の道庵どうあん、部落出身の米友よねともとお君と黒いムク犬、竜之介の父親に拾われた与八、竜之介に祖父を斬られたお松、神尾主膳しゅぜん、駒井能登守のとのかみこと甚三郎じんざぶろう兵馬ひょうまほかが登場する。歴史上の人物が少なからず実名で登場する。

実在の人物を含め、多くの登場人物がこの小説の主人公で、作者は彼らを通して幕末という時代の実相を描こうとしたのではないか。全体の三分の一を読んだ時点の仮説に過ぎないが、こう考えると、各巻の描写が「大乗小説」の場面として理解されるように思う。

時代設定は幕末だ。「都新聞」に連載したのが1913-21年、単行本を発行、1927-41年に新聞・雑誌等に連載しているから、第一次大戦から第二次大戦に至る富国強兵策を突き進んだ日本社会の病相を映しているだろうし、作者の社会・人生観に根ざしているに違いない。

平民新聞に寄稿し日露・日中戦争に反戦の立場を取っていた中里が、小説連載をやめた41年12月に勃発した日米開戦に雀躍したというから、その思想はまだよくわからない。ただ、自作を「大乗小説」と呼んでいた以上、大乗仏教の影響は確かだろう。「世界一の長編」「未完の長編」というのは外形の要素でしかない。

1935-36年に大河内伝次郎、57年に片岡千恵蔵、60年に市川雷蔵、66年に仲代達矢がそれぞれ竜之介役を演じる映画が制作され、その後の時代劇映画に多大な影響を及ぼしたようだ。

no「大菩薩峠」巻名字数執筆年
1甲源こうげん一刀流の巻 153,5171913-14
2鈴鹿すずか山の巻 83,5801914
3壬生みぶと島原の巻 121,5021914
4三輪みわの神杉の巻 106,8561915
5竜神りゅうじんの巻 76,9311915
6あいの山の巻 13,9571917-19
7東海道の巻 105,7991917-19
8白根しらね山の巻 87,7421917-19
9女子と小人しょうじんの巻 98,6371917-19
10市中騒動の巻 28,1791917-19
11駒井こまい能登守のとのかみの巻 98,9571917-19
12伯耆ほうき安綱やすつなの巻 84,6421917-19
13如法にょほう闇夜やみよの巻 152,3281917-19
14お銀様の巻 165,9811917-19
15慢心まんしん和尚おしょうの巻 144,2161917-19
16道庵どうあん鰡八ぼらはちの巻 135,3681917-19
17黒業こくごう白業びゃくごうの巻 156,8541917-19
18安房あわの国の巻 163,3531921
19小名路こなじの巻 170,3571921
20禹門うもん三級の巻 146,0341921
21無明むみょうの巻 206,7151925-28
22白骨しらほねの巻 229,0801925-28
23他生たしょうの巻 247,3891925-28
24流転るてんの巻 284,3431925-28
25弥帝夜みちりやの巻 176,6591925-28
26めいろの巻 285,0031925-28
27鈴慕れいぼの巻 119,4171925-28
28Oceanの巻 98,1741925-28
29年魚市あいちの巻 359,2111928-30
30畜生谷ちくしょうだにの巻 118,2641931
31勿来なこその巻 230,1551931
32弁信べんしんの巻 111,8091932
33不破ふわの関の巻 129,3901932
34白雲はくうんの巻 162,5041933
35胆吹いぶきの巻 98,2071933-34
36新月の巻 312,2031934
37恐山おそれざんの巻 391,8241934-35
38農奴の巻 49,0591938-41
39京の夢逢坂おうさかの夢の巻 202,2141938-41
40山科やましなの巻 291,4471938-41
41椰子やし林の巻 281,4111938-41
6,679,268
字数: 縦書き文庫版 執筆年: Wikipedia大菩薩峠(小説)
大菩薩観光協会「大菩薩の風景」より転載
https://www.instagram.com/ ryuta0825さん投稿

Silverspot, the Story of a Crow

from Wild Animals I Have Known by Ernest Thompson Seton

Silverspot
Decorative letter “H”.

ow many of us have ever got to know a wild animal? I do not mean merely to meet with one once or twice, or to have one in a cage, but to really know it for a long time while it is wild, and to get an insight into its life and history. The trouble usually is to know one creature from his fellow. One fox or crow is so much like another that we cannot be sure that it really is the same next time we meet. But once in a while there arises an animal who is stronger or wiser than his fellow, who becomes a great leader, who is, as we would say, a genius, and if he is bigger, or has some mark by which men can know him, he soon becomes famous in his country, and shows us that the life of a wild animal may be far more interesting and exciting than that of many human beings.

Of this class were Courtrand, the bob-tailed wolf that terrorized the whole city of Paris for about ten years in the beginning of the fourteenth century; Clubfoot, the lame grizzly bear that in two years ruined all the hog-raisers, and drove half the farmers out of business in the upper Sacramento Valley; Lobo, the kingwolf of New Mexico, that killed a cow every day for five years, and the Soehnee panther that in less than two years killed nearly three hundred human beings—and such also was Silverspot, whose history, as far as I could learn it, I shall now briefly tell.

Silverspot was simply a wise old crow; his name was given because of the silvery white spot that was like a nickel, stuck on his right side, between the eye and the bill, and it was owing to this spot that I was able to know him from the other crows, and put together the parts of his history that came to my knowledge.

Crows are, as you must know, our most intelligent birds—’Wise as an old crow’ did not become a saying without good reason. Crows know the value of organization, and are as well drilled as soldiers—very much better than some soldiers, in fact, for crows are always on duty, always at war, and always dependent on each other for life and safety. Their leaders not only are the oldest and wisest of the band, but also the strongest and bravest, for they must be ready at any time with sheer force to put down an upstart or a rebel. The rank and file are the youngsters and the crows without special gifts.

Old Silverspot was the leader of a large band of crows that made their headquarters near Toronto, Canada, in Castle Frank, which is a pine-clad hill on the northeast edge of the city. This band numbered about two hundred, and for reasons that I never understood did not increase. In mild winters they stayed along the Niagara River; in cold winters they went much farther south. But each year in the last week of February Old Silverspot would muster his followers and boldly cross the forty miles of open water that lies between Toronto and Niagara; not, however, in a straight line would he go, but always in a curve to the west, whereby he kept in sight of the familiar landmark of Dundas Mountain, until the pine-clad hill itself came in view.

Each year he came with his troop, and for about six weeks took up his abode on the hill. Each morning thereafter the crows set out in three bands to forage. One band went southeast to Ashbridge’s Bay. One went north up the Don, and one, the largest, went northwestward up the ravine. The last Silverspot led in person. Who led the others I never found out.

On calm mornings they flew high and straight away. But when it was windy the band flew low, and followed the ravine for shelter. My windows overlooked the ravine, and it was thus that in 1885 I first noticed this old crow. I was a new-comer in the neighborhood, but an old resident said to me then ‘‘that there old crow has been a-flying up and down this ravine for more than twenty years.” My chances to watch were in the ravine, and Silverspot doggedly clinging to the old route, though now it was edged with houses and spanned by bridges, became a very familiar acquaintance.

Twice each day in March and part of April, then again in the late summer and the fall, he passed and repassed, and gave me chances to see his movements, and hear his orders to his bands, and so, little by little, opened my eyes to the fact that the crows, though a little people, are of great wit, a race of birds with a language and a social system that is wonderfully human in many of its chief points, and in some is better carried out than our own.

One windy day I stood on the high bridge across the ravine, as the old crow, heading his long, straggling troop, came flying down homeward. Half a mile away I could hear the contented ‘All’s well, come right along!’ as we should say, or as he put it, and as also his lieutenant echoed it at the rear of the band.

Bird call on a music staff: Caw - Caw

They were flying very low to be out of the wind, and would have to rise a little to clear the bridge on which I was. Silverspot saw me standing there, and as I was closely watching him he didn’t like it. He checked his flight and called out, ‘Be on your guard,’ or

Bird call on a music staff: Single caw on two notes, rising by a semi-tone

and rose much higher in the air. Then seeing that I was not armed he flew over my head about twenty feet, and his followers in turn did the same, dipping again to the old level when past the bridge.

Next day I was at the same place, and as the crows came near I raised my walking stick and pointed it at them. The old fellow at once cried out ‘Danger,’

Bird call on a music staff: Single staccato “ca”

and rose fifty feet higher than before. Seeing that it was not a gun, he ventured to fly over. But on the third day I took with me a gun, and at once he cried out, ‘Great danger—a gun.’

Bird call on a music staff: Four rapid staccato “ca ca ca ca” ended by a “caw”

His lieutenant repeated the cry, and every crow in the troop began to tower and scatter from the rest, till they were far above gun shot, and so passed safely over, coming down again to the shelter of the valley when well beyond reach. Another time, as the long, straggling troop came down the valley, a red-tailed hawk alighted on a tree close by their intended route. The leader cried out, ‘Hawk, hawk,’

Bird call on a music staff: “Caw” on two notes dropping two tones, then that repeated

and stayed his flight, as did each crow on nearing him, until all were massed in a solid body. Then, no longer fearing the hawk, they passed on. But a quarter of a mile farther on a man with a gun appeared below, and the cry, ‘Great danger—a gun, a gun; scatter for your lives,’

Bird call on a music staff: Four rapid staccato “ca ca ca ca” ended by a “caw”

at once caused them to scatter widely and till far beyond range. Many others of his words of command I learned in the course of my long acquaintance, and found that sometimes a very little difference in the sound makes a very great difference in meaning. Thus while No. 5 means hawk, or any large, dangerous bird, this means ‘wheel around,’

Bird call on a music staff: “Caw” on two notes dropping one tone, then that repeated, followed by four staccato “ca ca ca ca”

evidently a combination of No. 5, whose root idea is danger, and of No. 4, whose root idea is retreat, and this again is a mere ‘good day,’

Bird call on a music staff: “Caw” on two notes dropping one tone, then that repeated

to a far away comrade. This is usually addressed to the ranks and means ‘attention.’

Bird call on a music staff: three staccato notes separated by pauses

Early in April there began to be great doings among the crows. Some new cause of excitement seemed to have come on them. They spent half the day among the pines, instead of foraging from dawn till dark. Pairs and trios might be seen chasing each other, and from time to time they showed off in various feats of flight. A favorite sport was to dart down suddenly from a great height toward some perching crow, and just before touching it to turn at a hair breadth and rebound in the air so fast that the wings of the swooper whirred with a sound like distant thunder. Sometimes one crow would lower his head, raise every feather, and coming close to another would gurgle out a long note like

Bird call on a music staff: one long trilled “C-r-r-r-a-w” of five notes dropping a tone at a time

What did it all mean? I soon learned. They were making love and pairing off. The males were showing off their wing powers and their voices to the lady crows. And they must have been highly appreciated, for by the middle of April all had mated and had scattered over the country for their honeymoon, leaving the sombre old pines of Castle Frank deserted and silent.

II

Several of Seton's illustrations: a tree, a sparrowhawk chasing another bird and crows on branches

The Sugar Loaf hill stands alone in the Don Valley. It is still covered with woods that join with those of Castle Frank, a quarter of a mile off. In the woods, between the two hills, is a pine-tree in whose top is a deserted hawk’s nest. Every Toronto school-boy knows the nest, and, excepting that I had once shot a black squirrel on its edge, no one had ever seen a sign of life about it. There it was year after year, ragged and old, and falling to pieces. Yet, strange to tell, in all that time it never did drop to pieces, like other old nests.

The handle of a china-cup, the gem of the collection.

One morning in May I was out at gray dawn, and stealing gently through the woods, whose dead leaves were so wet that no rustle was made. I chanced to pass under the old nest, and was surprised to see a black tail sticking over the edge. I struck the tree a smart blow, off flew a crow, and the secret was out. I had long suspected that a pair of crows nested each year about the pines, but now I realized that it was Silverspot and his wife. The old nest was theirs, and they were too wise to give it an air of spring-cleaning and housekeeping each year. Here they had nested for long, though guns in the hands of men and boys hungry to shoot crows were carried under their home every day. I never surprised the old fellow again, though I several times saw him through my telescope.

One day while watching I saw a crow crossing the Don Valley with something white in his beak. He flew to the mouth of the Rosedale Brook, then took a short flight to the Beaver Elm. There he dropped the white object, and looking about gave me a chance to recognize my old friend Silverspot. After a minute he picked up the white thing—a shell—and walked over past the spring, and here, among the docks and the skunk-cabbages, he unearthed a pile of shells and other white, shiny things. He spread them out in the sun, turned them over, lifted them one by one in his beak, dropped them, nestled on them as though they were eggs, toyed with them and gloated over them like a miser.

This was his hobby, his weakness. He could not have explained why he enjoyed them, any more than a boy can explain why he collects postage-stamps, or a girl why she prefers pearls to rubies; but his pleasure in them was very real, and after half an hour he covered them all, including the new one, with earth and leaves, and flew off. I went at once to the spot and examined the hoard; there was about a hatful in all, chiefly white pebbles, clam-shells, and some bits of tin, but there was also the handle of a china cup, which must have been the gem of the collection. That was the last time I saw them. Silverspot knew that I had found his treasures, and he removed them at once; where I never knew.

During the space that I watched him so closely he had many little adventures and escapes. He was once severely handled by a sparrowhawk, and often he was chased and worried by kingbirds. Not that these did him much harm, but they were such noisy pests that he avoided their company as quickly as possible, just as a grown man avoids a conflict with a noisy and impudent small boy. He had some cruel tricks, too. He had a way of going the round of the small birds’ nests each morning to eat the new laid eggs, as regularly as a doctor visiting his patients. But we must not judge him for that, as it is just what we ourselves do to the hens in the barnyard.

His quickness of wit was often shown. One day I saw him flying down the ravine with a large piece of bread in his bill. The stream below him was at this time being bricked over as a sewer. There was one part of two hundred yards quite finished, and, as he flew over the open water just above this, the bread fell from his bill, and was swept by the current out of sight into the tunnel. He flew down and peered vainly into the dark cavern, then, acting upon a happy thought, he flew to the downstream end of the tunnel, and awaiting the reappearance of the floating bread, as it was swept onward by the current, he seized and bore it off in triumph.

Silverspot was a crow of the world. He was truly a successful crow. He lived in a region that, though full of dangers, abounded with food. In the old, unrepaired nest he raised a brood each year with his wife, whom, by the way, I never could distinguish, and when the crows again gathered together he was their acknowledged chief.

The reassembling takes place about the end of June—the young crows with their bob-tails, soft wings, and falsetto voices are brought by their parents, whom they nearly equal in size, and introduced to society at the old pine woods, a woods that is at once their fortress and college. Here they find security in numbers and in lofty yet sheltered perches, and here they begin their schooling and are taught all the secrets of success in crow life, and in crow life the least failure does not simply mean begin again. It means death.

Roost in a row, like big folks.

The first week or two after their arrival is spent by the young ones in getting acquainted, for each crow must know personally all the  others in the band. Their parents meanwhile have time to rest a little after the work of raising them, for now the youngsters are able to feed themselves and roost on a branch in a row, just like big folks.

Drawing by Seton of a scarecrow with a crow perching on its head.

In a week or two the moulting season comes. At this time the old crows are usually irritable and nervous, but it does not stop them from beginning to drill the youngsters, who, of course, do not much enjoy the punishment and nagging they get so soon after they have been mamma’s own darlings. But it is all for their good, as the old lady said when she skinned the eels, and old Silverspot is an excellent teacher. Sometimes he seems to make a speech to them. What he says I cannot guess, but, judging by the way they receive it, it must be extremely witty. Each morning there is a company drill, for the young ones naturally drop into two or three squads according to their age and strength. The rest of the day they forage with their parents.

When at length September comes we find a great change. The rabble of silly little crows have begun to learn sense. The delicate blue iris of their eyes, the sign of a fool-crow, has given place to the dark brown eye of the old stager. They know their drill now and have learned sentry duty. They have been taught guns and traps and taken a special course in wire-worms and green corn. They know that a fat old farmer’s wife is much less dangerous, though so much larger, than her fifteen-year-old son, and they can tell the boy from his sister. They know that an umbrella is not a gun, and they can count up to six, which is fair for young crows, though Silverspot can go up nearly to thirty. They know the smell of gunpowder and the south side of a hemlock-tree, and begin to plume themselves upon being crows of the world.

They always fold their wings three times after alighting, to be sure that it is neatly done. They know how to worry a fox into giving up half his dinner, and also that when the kingbird or the purple martin assails them they must dash into a bush, for it is as impossible to fight the little pests as it is for the fat apple-woman to catch the small boys who have raided her basket. All these things do the young crows know; but they have taken no lessons in egg-hunting yet, for it is not the season. They are unacquainted with clams, and have never tasted horses’ eyes, or seen sprouted corn, and they don’t know a thing about travel, the greatest educator of all. They did not think of that two months ago, and since then they have thought of it, but have learned to wait till their betters are ready.

September sees a great change in the old crows, too. Their moulting is over. They are now in full feather again and proud of their handsome coats. Their health is again good, and with it their tempers are improved. Even old Silverspot, the strict teacher, becomes quite jolly, and the youngsters, who have long ago learned to respect him, begin really to love him.

Several small drawings by Seton of farmer with gun, apple woman, wife feeding chicken

He has hammered away at drill, teaching them all the signals and words of command in use, and now it is a pleasure to see them in the early morning.

‘Company 1!’ the old chieftain would cry in crow, and Company 1 would answer with a great clamor.

‘Fly!’ and himself leading them, they would all fly straight forward.

‘Mount!’ and straight upward they turned in a moment.

‘Bunch !’ and they all massed into a dense black flock.

‘Scatter!’ and they spread out like leaves before the wind.

‘Form line!’ and they strung out into the long line of ordinary flight.

‘Descend!’ and they all dropped nearly to the ground.

‘Forage!’ and they alighted and scattered about to feed, while two of the permanent sentries mounted duty—one on a tree to the right, the other on a mound to the far left. A minute or two later Silverspot would cry out, ‘A man with a gun!’ The sentries repeated the cry and the company flew at once in open order as quickly as possible toward the trees. Once behind these, they formed line again in safety and returned to the home pines.

Sentry duty is not taken in turn by all the crows, but a certain number whose watchfulness has been often proved are the perpetual sentries, and are expected to watch and forage at the same time. Rather hard on them it seems to us, but it works well and the crow organization is admitted by all birds to be the very best in existence.

Finally, each November sees the troop sail away southward to learn new modes of life, new landmarks and new kinds of food, under the guidance of the ever-wise Silverspot.

III

There is only one time when a crow is a fool, and that is at night. There is only one bird that terrifies the crow, and that is the owl. When, therefore, these come together it is a woeful thing for the sable birds. The distant hoot of an owl after dark is enough to make them withdraw their heads from under their wings, and sit trembling and miserable till morning. In very cold weather the exposure of their faces thus has often resulted in a crow having one or both of his eyes frozen, so that blindness followed and therefore death. There are no hospitals for sick crows.

But with the morning their courage comes again, and arousing themselves they ransack the woods for a mile around till they find that owl, and if they do not kill him they at least worry him half to death and drive him twenty miles away.

The track of the murderer.

In 1893 the crows had come as usual to Castle Frank. I was walking in these woods a few days afterward when I chanced upon the track of a rabbit that had been running at full speed over the snow and dodging about among the trees as though pursued. Strange to tell, I could see no track of the pursuer. I followed the trail and presently saw a drop of blood on the snow, and a little farther on found the partly devoured remains of a little brown bunny. What had killed him was a mystery until a careful search showed in the snow a great doubletoed track and a beautifully pencilled brown feather. Then all was clear—a horned owl. Half an hour later, in passing again by the place, there, in a tree, within ten feet of the bones of his victim, was the fierce-eyed owl himself. The murderer still hung about the scene of his crime. For once circumstantial evidence had not lied.

At my approach he gave a guttural ‘grrr-oo’ and flew off with low flagging flight to haunt the distant sombre woods.

Two days afterward, at dawn, there was a great uproar among the crows. I went out early to see, and found some black feathers drifting over the snow. I followed up the wind in the direction from which they came and soon saw the bloody remains of a crow and the great doubletoed track which again told me that the murderer was the owl. All around were signs of the struggle, but the fell destroyer was too strong. The poor crow had been dragged from his perch at night, when the darkness had put him at a hopeless disadvantage.

The death of Silverspot.

I turned over the remains, and by chance unburied the head—then started with an exclamation of sorrow. Alas! It was the head of old Silverspot. His long life of usefulness to his tribe was over—slain at last by the owl that he had taught so many hundreds of young crows to beware of.

The old nest on the Sugar Loaf is abandoned now. The crows still come in spring-time to Castle Frank, but without their famous leader their numbers are dwindling, and soon they will be seen no more about the old pine-grove in which they and their forefathers had lived and learned for ages.

[Except for a group of decorations from several pages moved together at the beginning of section II, the author’s drawings are placed on this web page approximately with the paragraph where they appeared in the original text. Text and author’s illustrations from ‘Silverspot, The Story of a Crow’ in Ernest Thompson Seton, Wild Animals I Have Known (1898), pp. 59-88. (source)]

https://todayinsci.com/S/Seton_Ernest/SetonErnest-Silverspot.htm

Inzwischen treibe ich noch…

Inzwischen treibe ich noch auf ungewissen Meeren; der zufall schmeichelt mir, der glattzngige; vorwrts und rckwrts schaue ich-, noch schaue ich kein Ende. (In the meantime I am still drifting on uncertain seas; chance flatters me, the smooth one; forwards and backwards I look, still I see no end. [translated by deepl.com])

ドイツ語は少し勉強しただけだが、上に引用した「ツァラトゥストラかく語りき」の一節はなぜか暗記している。何かの本の冒頭に載っていたことだけ記憶していたが、数日前それを角川書店版「合本三太郎の日記第三」に再発見し、ひそかに喜んでいる。60年代末に読んだと思う。

50年余り経て読むと、かくも理屈っぽく冗長な文章をよく読んだものだと、昔の自分に関心してしまう。この本を読んだ当時の僕は、キリスト教にもとづく哲学青年の思索のなかに漂流していたのだ。70歳を過ぎて読み直し、同じ思考の流れに沿えないことを自覚しながらも、かつての自分がその本から滋養を得ていたことを考え、感謝しないわけにはいかない。

一方で、「ツァラトゥストラ」や「三太郎の日記」の内容は忘れ、読んだ記憶しかないということは、僕はこういう思索に沿って漂流しただけで、何も身につかなかったとも思う。いまだに僕は inzwischen treibe ich noch の境を脱していないのかもしれない。

(数日後)いや、そう単純ではない。50年余りを経て「三太郎の日記」全編を読み進めるうちに、僕は著者ならぬ三太郎に感化されて、その執拗ともいえる、一歩ずつ踏みしめながら思索を進めるやり方にかなり馴れ、自分が単なる読者であることを超え、ある種の思考訓練を受けているような感官を覚えるようになった。

と同時に、50年余り前と現在の大きな違いを自覚しないわけにはいかない。それは、自分には表現し発表する媒体があるということだ。たとい読者は限られていても、自分が体験し考えたことを記録として残すことができる。こんなに恵まれた環境はないではないか。

Song of the Birds

三週間あまり来る日も来る日もウクライナの惨状を見るにつけ、暗澹とした気持ちになり、自分の非力さを思い知らされますが、こんなときだからこそ、カザルスの「鳥の歌」を思い出します。

Casals Plays the Song of the Birds at UN in 1971

MTBで都心を走る

1年以上乗らなかった自転車に乗り、自宅から新大久保まで往復2時間半、ほとんど休むことなく走った。心地よい疲れとあしの筋肉痛が残る。中原街道>天現寺>外苑西通り>明治通り>大久保通り>靖国通り>新宿通り>四谷見附>外堀通り>麻布通り>桜田通り>国道1号>中原街道

走り始めて10分ほどで胸に痛みを覚えた。MTB山行のときと同じ症状だ。公道の長い坂道を登るのは案外きつい。山道とは違った緊張も伴う。エンジン音をうならしてせっするように疾駆しっくするクルマに3台遭遇そうぐうした。その直後に路面の白い自転車マークが目に入ると、いかにもむなしい。自転車が脇道わきみちに追いやられ、それが当然のこととされている。どこかおかしい。

ここ数年、自転車の前か後ろに荷車を付けた宅配便の姿を見るようになった。1970年ごろまで業務用の実用車が広く普及していて、リアカーを引いているのをよく見かけた。60年代前半には、東京の杉並区あたりでも野菜を積んだオート三輪車が走り、酒屋のご用聞きや豆腐屋、牛乳配達などが堅牢けんろうで重そうな自転車に乗って住宅地を走り回っていた。いまは昔の話だが、荷車を付けた宅配業者を見ると思い出す。

1983年に自転車でヨーロッパを旅した友人がよく話す。自転車専用のレーンと信号機を備えたヨーロッパの道路がうらやましい、と。自転車が貴族の遊びとして始まった英仏に対し、労働者の輸送手段として実用車が先行した日本や中国。これらの地域では自転車が追いやられクルマが跋扈ばっこしている。なぜだろうか。

歩道では、いまや小径車や子どもを前後に載せた電動自転車が我が物顔で走っている。歩道を歩きながら思うのは、結局、よりスピードが速く、大きくて重い車両(vehicles)が幅をきかせ、弱小な車両を抑え込んでいる、ということだ。自転車に愛着を持つ者だから言うのではない。この国の道路事情はどこかおかしい、道にはずれているのではないか。

a friend

韓国の友人が、退官記念に出版されたという書籍と僕が好きなコーヒー豆を誕生祝いに送ってくれた。”한국어교육의 현재와 미래(韓国語教育の現在と未来)”と題された本は、彼の大学関係者が編集し、図書出版夏雨ハウが出版してくれたという。韓国のブックデザインは優れたものが多いが、この本もよくできている。題字が活版印刷さながら盛り上がっているのがなつかしい。

友人とは何でも話せるのに、門外漢の僕にはこの本の学術的な価値はよくわからない。彼が日本に来ると、一緒に山に登り、MTBで山中を走り、驟雨しゅううのなか高山のいただきでマッコリを飲み、全裸で渓谷に入るなど、少年に返れるのだ。韓国語でいう 불알プラル 친구チング のようなものだろうか。

酒豪といってよい彼と、あまり酒を飲めない僕が長年付き合っているのを不思議に思うかもしれない。いい意味の遊び仲間なのだろう。写真はどれも彼の一面をうつしている。

Players and observers

민갑완ミンカブァン(1897-1968)の関連年表(1875-2014)を oguris.blog に再掲した。タイトルは Korea and Imperial Japan とし、1875年8月の雲揚うんよう号事件から始めた。この事件が明治日本すなわち大日本帝國の対朝鮮外交を象徴していると考えたからだ。いわゆる「砲艦ほうかん外交」であり、パワーポリティックスである。

現在のロシアによるウクライナ侵攻に向けた動き、中国による台湾侵攻をめぐる動向も類似している。欧米各国も同じ根っこを共有している。こんなことを書くと、150年も昔の話が現在と同じだなんて、といぶかしく思うだろうが、それを承知のうえでえて言うのである。

砲艦外交を正当化する根拠は国際法であり、19世紀後半においては萬國ばんこく公法とも呼ばれた。近代ヨーロッパにおいて形成されたものだから、ロシアや中国と対立しているかに見える欧米諸国やそれを模倣した日本も同じ枠組みのなかで動いている。

日本の場合は砲艦ならぬ<傍観>ないし<望艦>であろう。官僚の作成した原稿を読み上げる首相や閣僚の姿を見るにつけ、何とも情けない思いに陥るのは僕だけだろうか。

The Economist Feb 9 2022: Yuval Noah Harari Argues


郷愁 nostalgia(2)

萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」冬の部の冒頭部分を引用します。与謝蕪村よさのぶそん(1716-1784)の写実主義を評価した正岡子規とは違った観点から、蕪村の抒情性を高く評価した詩論です。「冬の部」の初出は雑誌「生理 5」(1935年2月)

いかのぼりきのふの空のりどころ

北風の吹く冬の空に、たこが一つあがっている。その同じ冬の空に、昨日きのふもまたたこあがっていた。蕭条しょうじょうとした冬の季節。こおったにぶい日ざしの中を、悲しくさけんで吹きまく風。硝子ガラスのように冷たい青空。その青空の上にうかんで、昨日きのふ今日けふも、さびしい一つのたこあがっている。飄々ひょうひょうとしてうなりながら、無限に高く穹窿きゅうりゅうの上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶ついおくただよっている!

この句の持つ詩情の中には、蕪村の最も蕪村らしい郷愁とロマネスクがあらわれている。「きのふの空のりどころ」という言葉の深い情感に、すべての詩的内容が含まれていることに注意せよ。「きのふの空」は既に「けふの空」ではない。しかもそのちがった空に一つの同じたこあがっている。即ち言えば、常に変化する空間、経過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメージ)だけが、不断ふだんに悲しく寂しげに穹窿きゅうりゅうの上に実在しているのである。

こうした見方からして、この句は蕪村俳句のモチーヴを表出した哲学的標句ひょうくとして、芭蕉ばしょう(1644-94)の有名な「古池や」と対立すべきものであろう。なお「きのふの空の有りどころ」というごとき語法が、全く近代西洋の詩と共通するシンボリズムの技巧であって、過去の日本文学に例のない異色のものであることに注意せよ。蕪村の不思議は、外国と交通のない江戸時代の日本に生れて、今日の詩人と同じような欧風抒情じょじょう詩の手法を持っていたということにある。 

参考: 正岡子規「俳人蕪村」