一葉の「たけくらべ」を読む

樋口一葉(1872年5月-1896年11月)の『たけくらべ』を縦書き文庫版で読んだ。1895-96年に雑誌「文學界」に連載、96年4月に「文藝倶楽部」に全篇が掲載された。一葉満23歳の作品で、亡くなる僅か半年前のことだった。この作品も高三か浪人のときに読んだはずだが、ほとんど記憶にない。ただ字面を追っただけなのだろう。荷風の『濹東綺譚』は鮮明に残っている。

吉原についてよく知らないので、前後して田中優子の近著『遊廓と日本人』を読んだ。文化としての遊廓に関する考察とでもいうべき書である。大いに参考になった。図版を中心に説明している第5章に図版が増えれば、と思う。

若いころ上野で植木商などに関わり戦後小石川に生花店を営んだ祖父に連れられ、吉原界隈を歩いた記憶があるが定かでない。

鷗外の「ヰタ・セクスアリス」(1)(2)

漱石より鷗外(1862-1922)が好きな僕は高三か浪人のときに「ヰタ・セクスアリス」を読んだ。1909年、鷗外が満47歳のときの作品だ。タイトルはラテン語だが「わが性慾に関する手記」ぐらいの意か。「ヰタ・セクスアリス(その二)」と名付けたい。

前回も辞書を引きひき読んだのだろう。文中に出てくる漢語もさることながら、独英仏羅希語が登場し、意味を確認しないと読み進められない。neugierde というドイツ語(英語 curiosity)が頻出した。鷗外の観察眼は()めた好奇心とでも呼ぶべきもので、けっして性慾に淡泊なわけではないが、受動的である。

一日置いて「舞姫」を読んだ。1890年の発表だから、鷗外が28歳のときに書かれたものだ。少なくとも二度は読んでいるはずだが、今回はまったく別物のような気がした。「ヰタ・セクスアリス(その一)」と名付けたい。かくも生々しい物語だったのか、と呆れる。若かったとはいえ、上滑りして読んでいた自分が恥ずかしい。

森鷗外(1862-1922); 二葉亭四迷(1864-1909); 夏目漱石(1867-1916)、三人並べると、鷗外が最も早く生まれ、最も長く生きている。専門の語学はそれぞれ独・露・英語である。鷗外と二葉亭は英仏語もできたろう。三人の漢籍の知識は到底僕の及ぶところではない。

二葉亭の「浮雲」を読む

70年代初め、二葉亭(ふたばてい)四迷(しめい)(1864-1909)に()った時期がある。新書版の全集を神保町の古本屋で購入し、小説や翻訳作品ほかを読んだ。原著者ツルゲーネフ(1818-83)の「片戀(かたこい)」が好きだった。最近50年ぶりに「浮雲(うきぐも)」を読んだら、ところどころ吹き出すほどのおもしろさだ(第1編1887年6月、第2編88年2月、第3編90年7-8月発行)。

ようやく官吏(かんり)になったもののすぐに罷免(ひめん)された二十代前半の男が主人公だ。官吏になるや、ちやほやして娘を嫁がせようとした叔母が、彼が免職(めんしょく)になるや、豹変(ひょうへん)して(つら)くあたる。はては、主人公の元同僚に乗り換えようとする世の理不尽(りふじん)さを(なげ)きつつも、その娘に対する思いを断ち切れない内海(うつみ)文三、言文一致文体の極致ともいうべき作品か。

挿絵: 主人公の内海文三と彼が恋するお勢 https://www.city.bunkyo.lg.jp/index.html

夏目漱石(1867-1916)の「三四郎」(1908)を読んだあと、二葉亭の「浮雲」を読んだ。前者は大学生、後者は官吏に採用されながら罷免された、いずれも真面目(まじめ)不器用(ぶきよう)な男だ。両者の異性に対する態度は驚くほど似ている。

筑波山に登る

娘夫婦に()れられ筑波(つくば)山に登山した。「日本百名山」を制覇(せいは)しようという彼らに付いていった。標高877m(女体山(にょたいさん))ながら、大きな岩がごろごろしていて歩きにくい、(あなど)れない低山だ。関東平野の一角に隆起した山塊(さんかい)は全体が巨岩の(かたま)りのようだ。奇岩も多く、神話や伝説にちなんだ説明が付いている。女体山(にょたいさん)から男体山(なんたいさん)につながる稜線沿いにケーブルカーとロープウェイの駅があって、茶店が並ぶ光景は素直に受け入れられない。

(あし)が半ば麻痺(まひ)している僕にはきつい山だ。登り下り合わせて5時間、最後は筋肉痛で動けなくなる寸前すんぜんだった。百名山をまた一つ制覇(せいは)したという彼らのような達成感はないながら、まだ歩けるぞ、という妙な自信感に満足した。

試験直前の勉強に没頭しているはずが、受験申し込みの不手際で受験できなくなった。自分のせいだから誰を怨むこともできない。ただ、自らの愚かさを嘆くばかりだ。こんなとき、何も考えずに山道を歩くことにまさる治療法はない。馬鹿につける薬はないのだから。

漱石の「こゝろ」を読む

50年ほど前に読んだはずの小説、夏目漱石(1867-1916)の「こゝろ」 (原作「こゝろ 先生の遺書」: 1914年4月-8月朝日新聞連載)を縦書き文庫版で読んだ。55章と56章(最終章)に、「先生」が「私」に宛てた遺書のような長文の手紙の末尾に次の記述がある。( )内は原文にない補足。

…夏の暑い盛りに明治天皇(1852-1912)が崩御(7月30日)になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。

…それから約一ヵ月ほど経ちました。御大葬(1912年9月30日)の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将(1849-1912)の永久に去った報知にもなっていたのです。

「先生」は乃木希典夫妻が殉死した数日後に自殺の決心をし、その後十日以上かけて「私」宛に長文を書いている。「先生」は何に殉死したのだろうか。「先生」に最も残酷な形で「お嬢さん」を奪われて自殺したKに対する呵責の念から逃れるためだろうか。「先生」の egoism/egotism について延々と読ませられる小説だということを半ば知っていながら、なぜ僕はこの小説を再び読んだのだろうか。自分の愚かさを紛らわすためだったろうか。後味が悪いのは他の誰のせいでもない。僕のせいだということを知っているつもりではいるのだが。

「先生」が下宿した先の母娘、とくに娘の立場でみると、Kと「先生」という、かつて親しく接していた二人の下宿人が相次いで自殺することは耐えがたい苦痛だったろう、と思わずにはおられない。軍人の未亡人である母親はKの自殺についてある程度推定していたに違いないが、娘はKの自殺の要因ないしきっかけと思われる「私」の一方的な思惑によって何も知らされないばかりか、「私」と結婚することによって寂しい思いを強いられたあげく、若くして未亡人になる。

この小説を明治時代の時代精神に対する鎮魂歌のように評する人もいるようだが、同じ作者の「三四郎」の冒頭、列車に登場する老人の独白にあるように、日清日露と続いた戦争に象徴される明治の時代精神の閉塞感を描いた作品ということもできるのではないだろうか。

漱石『こゝろ』岩波書店版の表紙 1914年9月

異界・迷界・冥界

夕方、一人で隣りの駅まで歩いていった。どこかで食事するつもりだったが、出がけ前に軽く食べたこともあって、なかなか場所が定まらない。小一時間歩いているうちに来たことのない道に迷いこんでしまった。いったい、ここはどこだろう。行き詰まっていた書きかけの小説の新しい場面がぼんやり浮かんだ。ある門前町だった。そのとき一瞬、異界に足を踏み入れたような感官を覚えた。むろん、錯覚だろうが。

通りの先になまめかしい赤い提灯が二つ灯っていた。提灯に庚申堂と書いてある。よこに建つ説明板とお堂のあいだに、1783(天明3)年に造られたという四角柱の石道標が建っている。赤い灯がまぶしくて石柱に気づかなかった。白昼に来たら、異界を見ることはなかったろう。

1783(天明3)年銘の道標(左下の暗い石柱)

住・職転々の来歴

縦書き文庫のプロフィールに載せた略歴は次のとおりで、主に住んだ場所を記している。カナダの2年を除いてほとんど日本国内だし、載せる意味はないかもしれない。

住・職転々: 1950年東京本郷に生まれ岡山県柵原へ; 55年-東京善福寺池; 65年-岩手県水沢; 67-85年本天沼・阿佐ヶ谷; 70年-英・韓語に関連する多業種を経験; 85年-洗足池(87-90年Toronto・守口); 作品「いつか名もない魚(うを)になる」(「無宗教派の人びと」所収)ほか

どんな土地に住んだかは性格や考え方に大いに関わっていると考える。僕の来歴はさしずめ「住・職転々」だ。本当は、もっとも大きな影響を受けているのは母親だと考えている。彼女についていつか書きたいと思う。

(昭和35(1960)年ごろの居間の写真は、長谷川町子美術館の展示)

「ハイジン教」と排外・拝外主義

25年余り前に執筆した修論のテーマは、明治期に条約改正論議と並行して行われた「内地雑居論争」だった。現代における多文化共生論議に近い。その根っこにあるのは日本の人々の対外意識の問題であり、幕末から明治期にかけて攘夷論として表現された。

2020年に書いた小説「いつか名もない魚(うを)になる」と現在執筆中の「ハイジン教の改宗者たち(非公開)」に共通するテーマが、論文で扱った日本の人々の<排外主義>であり<拝外主義>であった。最近このことに気づき、拙論「内地雑居論にみられる対外意識の研究」を「<ハイジン教>と排外・拝外主義」と題し本サイトに載せた。縦書き文庫にも掲載している

ハトの鳴き声

最近、ハトの鳴き声が気になる。規則正しい鳴き声で繰り返されるから耳について離れない。何か意味ありげに聞こえるのだ。

グッ、クーグーッククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クーグーッククー、グーックーククー、クッ(間)グッ、クーグーッククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クッ

あとはこの繰り返しだが、クーグーッククーを繰り返す回数が少なくなって終わる。同じ鳴き声を韓国語で表記すると、例えば次のようになる。

굿、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굿꾸꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸 끝(間)굿、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굿꾸꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸 끝

一般的には 구구구구 と表記するようだが、これだと「グーッ」「クー」「ククー」「クッ」が区別できない。끝 は終わりの意味で駄じゃれである。韓国語は英語と同じように子音で終わる語が多く、それを表記できるので表現しやすいのです。

since 2012