漱石の「こゝろ」を読む

50年ほど前に読んだはずの小説、夏目漱石(1867-1916)の「こゝろ」 (原作「こゝろ 先生の遺書」: 1914年4月-8月朝日新聞連載)を縦書き文庫版で読んだ。55章と56章(最終章)に、「先生」が「私」に宛てた遺書のような長文の手紙の末尾に次の記述がある。( )内は原文にない補足。

…夏の暑い盛りに明治天皇(1852-1912)が崩御(7月30日)になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。

…それから約一ヵ月ほど経ちました。御大葬(1912年9月30日)の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将(1849-1912)の永久に去った報知にもなっていたのです。

「先生」は乃木希典夫妻が殉死した数日後に自殺の決心をし、その後十日以上かけて「私」宛に長文を書いている。「先生」は何に殉死したのだろうか。「先生」に最も残酷な形で「お嬢さん」を奪われて自殺したKに対する呵責の念から逃れるためだろうか。「先生」の egoism/egotism について延々と読ませられる小説だということを半ば知っていながら、なぜ僕はこの小説を再び読んだのだろうか。自分の愚かさを紛らわすためだったろうか。後味が悪いのは他の誰のせいでもない。僕のせいだということを知っているつもりではいるのだが。

「先生」が下宿した先の母娘、とくに娘の立場でみると、Kと「先生」という、かつて親しく接していた二人の下宿人が相次いで自殺することは耐えがたい苦痛だったろう、と思わずにはおられない。軍人の未亡人である母親はKの自殺についてある程度推定していたに違いないが、娘はKの自殺の要因ないしきっかけと思われる「私」の一方的な思惑によって何も知らされないばかりか、「私」と結婚することによって寂しい思いを強いられたあげく、若くして未亡人になる。

この小説を明治時代の時代精神に対する鎮魂歌のように評する人もいるようだが、同じ作者の「三四郎」の冒頭、列車に登場する老人の独白にあるように、日清日露と続いた戦争に象徴される明治の時代精神の閉塞感を描いた作品ということもできるのではないだろうか。

漱石『こゝろ』岩波書店版の表紙 1914年9月

異界・迷界・冥界

夕方、一人で隣りの駅まで歩いていった。どこかで食事するつもりだったが、出がけ前に軽く食べたこともあって、なかなか場所が定まらない。小一時間歩いているうちに来たことのない道に迷いこんでしまった。いったい、ここはどこだろう。行き詰まっていた書きかけの小説の新しい場面がぼんやり浮かんだ。ある門前町だった。そのとき一瞬、異界に足を踏み入れたような感官を覚えた。むろん、錯覚だろうが。

通りの先になまめかしい赤い提灯が二つ灯っていた。提灯に庚申堂と書いてある。よこに建つ説明板とお堂のあいだに、1783(天明3)年に造られたという四角柱の石道標が建っている。赤い灯がまぶしくて石柱に気づかなかった。白昼に来たら、異界を見ることはなかったろう。

1783(天明3)年銘の道標(左下の暗い石柱)

住・職転々の来歴

縦書き文庫のプロフィールに載せた略歴は次のとおりで、主に住んだ場所を記している。カナダの2年を除いてほとんど日本国内だし、載せる意味はないかもしれない。

住・職転々: 1950年東京本郷に生まれ岡山県柵原へ; 55年-東京善福寺池; 65年-岩手県水沢; 67-85年本天沼・阿佐ヶ谷; 70年-英・韓語に関連する多業種を経験; 85年-洗足池(87-90年Toronto・守口); 作品「いつか名もない魚(うを)になる」(「無宗教派の人びと」所収)ほか

どんな土地に住んだかは性格や考え方に大いに関わっていると考える。僕の来歴はさしずめ「住・職転々」だ。本当は、もっとも大きな影響を受けているのは母親だと考えている。彼女についていつか書きたいと思う。

(昭和35(1960)年ごろの居間の写真は、長谷川町子美術館の展示)

「ハイジン教」と排外・拝外主義

25年余り前に執筆した修論のテーマは、明治期に条約改正論議と並行して行われた「内地雑居論争」だった。現代における多文化共生論議に近い。その根っこにあるのは日本の人々の対外意識の問題であり、幕末から明治期にかけて攘夷論として表現された。

2020年に書いた習作と現在執筆中の「ハイジン教」に共通するテーマが、論文で扱った日本の人々の<排外主義>であり<拝外主義>であった。最近このことに気づき、拙論「内地雑居論にみられる対外意識の研究」を本サイトに載せた。縦書き文庫にも掲載している

ハトの鳴き声

最近、ハトの鳴き声が気になる。規則正しい鳴き声で繰り返されるから耳について離れない。何か意味ありげに聞こえるのだ。

グッ、クーグーッククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クーグーッククー、グーックーククー、クッ(間)グッ、クーグーッククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クッ

あとはこの繰り返しだが、クーグーッククーを繰り返す回数が少なくなって終わる。同じ鳴き声を韓国語で表記すると、例えば次のようになる。

굿、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굿꾸꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸 끝(間)굿、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굿꾸꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸 끝

一般的には 구구구구 と表記するようだが、これだと「グーッ」「クー」「ククー」「クッ」が区別できない。끝 は終わりの意味で駄じゃれである。韓国語は英語と同じように子音で終わる語が多く、それを表記できるので表現しやすいのです。

小径車で通勤

通勤用に折りたたみの小径車を買いたいと思う。愛知県の自転車メーカーがデザインし中国で生産している。英米からの輸入品に較べ格安だ。ディスクブレーキだし、デザインもいい。

Ichinomiya Cycle LX-F16 Black 16in 12kg
Ichinomiya Cycle YZ-14 Dark green 14in 14kg

下の写真は30年以上前に持っていた宮田製作所(現ミヤタサイクル)の折りたたみ自転車だ。3段ハブギアで5万円もした。盗難に遭って今はもうない。だから、通勤用に高価なものは買いたくない。

老いた少年

70年代初めに神保町の書店で一年余り一緒に仕事をし、親しかった友人がいる。無類の本好きで、長年古書店に勤めていた。少年っぽいところがあったからか女性にもてたが、社交的ではなかった。その後、職場も変わり疎遠になり、たまに連絡しあうだけとなった。交信手段は携帯電話だけで、50年前の電話とあまり変わらない。

1ヵ月ほど前、その老少年から電話があった。電車に乗っていた僕はあわてて降り、駅構内の静かなところに移って約30分話した。もしや、僕が死んでいるかと思うと怖くて、なかなか電話できなかったという。入退院を繰り返しながらも元気だが、足の痛みがひどく、外出はほとんどできないようだ。夫人と二人暮らしで、近くに娘夫婦がいて孫もいる。近々、訪ねて行くことにして、電話を切った。

翌週、何年かぶりの再会を果たした。彼の最寄り駅近くにあるとんかつ屋の個室で向き合って話し込んだが、何を話したのか、近況を伝えた以外はあまり覚えていない。少しさびしい気もするが、たがいに元気でいることを確かめるために会ったのかもしれない。

とんかつ屋を出たあと、僕はもう少し話したかったが、彼にはあまりその気がなかったのだろう。駅のほうに向かって踏み切りをわたると、<シアトル教会>があった。その通りに面したテーブル席に誘ったのは僕のほうだった。

そこにいる間、僕は彼のスマホにSNSを設定する作業に費やした。二人のあいだのやり取りを容易にしたかったのだが、彼はそれを好まなかったようだ。ただ、その場では何も言わずに僕がするままに任せていた。ひとこと言ってくれていたら、相応の対応ができたろうに。

一週間後、SNSで電話をしても受けなかったので、在来の電話を使って連絡すると、受けとった。僕がSNSを使うように促すと、「いったい何様だと思ってるんだ、己は使わないから」と言う。「とにかく、もういいから」と言って切られてしまった。後味の悪い電話だったが、向こうも同じだったろう。

このまま二度と会わないかもしれない。その蓋然性が高いだろう。親しい間がらというのも案外もろいものだ、と思った。

タンゴの魅力: milonguero

MTBより少し前に習いはじめたタンゴから遠ざかって久しい。コロナ禍もあってミロンガ(タンゴ・ダンスパーティ)にも行きにくくなった。そんなとき、パリ在住のタンゴ歴23年という先生のサイト作りを手伝う機会に恵まれた。以下、その一部を紹介したい。

アルゼンチンタンゴというと、一般的にテレビなどマスメディアで紹介されているショータンゴを思い浮かべる人が多いのですが、実際のブエノスアイレス市民の間で昔から現在まで踊られている伝統的なタンゴは、それとはだいぶ趣を異にしています…

“Tango Milonguero”の言葉の意味は、Tango(踊り)とMilonguero(踊りの名人、もしくは踊りのスタイル)が合体したもので、いわば「名人の踊り」ともいえます…

「縦書き文庫」8-9月順位で上位に

拙著「いつか名もない魚(うを)になる」が縦書き文庫8月の順位で上位に入りました。読者のみなさまのお蔭です。ありがとうございます。

→「縦書き文庫」: 8月のランキング; 9月のランキング

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1こころ夏目漱石2724(783)
2方法序説ルネ・デカルト1150(430)
3君主論マキャヴェリ698(359)
4地下室の手記(「地下
生活者の手記」)
ドストエフスキー670(30)
5吾輩は猫である夏目漱石436(108)
6坊っちゃん夏目漱石398(487)
7ピーターパンと
ウェンディ
ジェームス・マシュー・バリー381(493)
8純粋扉で夏みかん柿原 凛**335(26)
9人間失格太宰治290(109)
10ダブリンの人たちジェイムズ・
ジョイス
235(257)
1180日間世界一周ジュール・
ヴェルヌ
225(127)
12ヴェニスの商人メアリー・ラム196(32)
13無宗教派の人びと(「いつか名もない魚(うを)になる」含む)小栗 章159(16)
*( )内は7月のポイント数

各タイトルをクリックすると縦書き文庫で読むことができ、作者名をクリックすると同文庫に掲載された作者の全作品が表示されます。 「いつか名もない魚(うを)になる」 はシリーズ化し「無宗教派の人びと」に含めました。

この表示にはトリックがあります。著名な作品は常に上位にありますが、僕のような新規投稿作品は投稿月と翌月ぐらいしか載りません。当然のことですが。

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