『言語 この希望に満ちたもの』

言語 この希望に満ちたもの: TAVnet*時代を生きる(野間秀樹著、北海道大学出版会 2021年7月発行)の第1章を読んだ。著者の言語観というより世界観が独自の文体で述べられ、小説好きの老書生にも読めそうだ。「中高生くらいのみなさん」とも共有できるだろうとしながら、読者には「言語をめぐるありようを見すえる<構え>がほしい」としている。目次は次のとおりで、どの章からでも読める構成だという。 * T: text, A: audio, V: visual

第1章 ことばを最も深いところから考える: 言語はいかに実現するか
第2章 ことばと意味の場を見すえる: 言語場の劇的な変容への<構え>を
第3章 世界の半分は言語でできている: ことばのパンデミック
第4章 ことばへの総戦略を: 内から問う
第5章 ことばへの総戦略を: 外から問う
終章 言語 この希望に満ちたもの: やはり、生きるための言語

第1章に図があり(p. 28)、<話されたことば>と<書かれたことば>についてわかりやすく説明している。ちなみに、よく耳にする<話しことば>と<書きことば>を著者は「言語の表現様式」と呼び、<話されたことば>と<書かれたことば>を「言語の存在様式」と呼んで、両者を峻別すべきだと主張する。

図のタイトルは、音の<かたち>としての<話されたことば>と光の<かたち>としての<書かれたことば>であり、両者の関係を次のように分析している。

音の世界に<話されたことば>が実現する
<話されたことば>を光の世界に照らし出す
光の世界に<書かれたことば>が実現する
<書かれたことば>は<話されたことば>の単なる写しではなく、座標軸自体がねじれた互いに位相の異なる実現体である

言語学の門外漢である僕が類推したのは<演奏された音楽=演奏>と<記された音楽=楽譜>である。ただ、この類推が間違っていないとすると、音楽は<ことば>だという解釈が成り立ってしまう。音楽は著者のいう<かたち>を持たないのだろうか。

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