萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」冬の部の冒頭部分を引用します。与謝蕪村(1716-1784)の写実主義を評価した正岡子規とは違った観点から、蕪村の抒情性を高く評価した詩論です。「冬の部」の初出は雑誌「生理 5」(1935年2月)
凧きのふの空の有りどころ
北風の吹く冬の空に、凧が一つ揚っている。その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚っていた。蕭条とした冬の季節。凍った鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまく風。硝子のように冷たい青空。その青空の上に浮んで、昨日も今日も、さびしい一つの凧が揚っている。飄々として唸りながら、無限に高く穹窿の上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶が漂っている!
この句の持つ詩情の中には、蕪村の最も蕪村らしい郷愁とロマネスクが現われている。「きのふの空の有りどころ」という言葉の深い情感に、すべての詩的内容が含まれていることに注意せよ。「きのふの空」は既に「けふの空」ではない。しかもそのちがった空に一つの同じ凧が揚っている。即ち言えば、常に変化する空間、経過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメージ)だけが、不断に悲しく寂しげに穹窿の上に実在しているのである。
こうした見方からして、この句は蕪村俳句のモチーヴを表出した哲学的標句として、芭蕉(1644-94)の有名な「古池や」と対立すべきものであろう。なお「きのふの空の有りどころ」という如き語法が、全く近代西洋の詩と共通するシンボリズムの技巧であって、過去の日本文学に例のない異色のものであることに注意せよ。蕪村の不思議は、外国と交通のない江戸時代の日本に生れて、今日の詩人と同じような欧風抒情詩の手法を持っていたということにある。
参考: 正岡子規「俳人蕪村」