MTBで都心を走る

1年以上乗らなかった自転車に乗り、自宅から新大久保まで往復2時間半、ほとんど休むことなく走った。心地よい疲れとあしの筋肉痛が残る。中原街道>天現寺>外苑西通り>明治通り>大久保通り>靖国通り>新宿通り>四谷見附>外堀通り>麻布通り>桜田通り>国道1号>中原街道

走り始めて10分ほどで胸に痛みを覚えた。MTB山行のときと同じ症状だ。公道の長い坂道を登るのは案外きつい。山道とは違った緊張も伴う。エンジン音をうならしてせっするように疾駆しっくするクルマに3台遭遇そうぐうした。その直後に路面の白い自転車マークが目に入ると、いかにもむなしい。自転車が脇道わきみちに追いやられ、それが当然のこととされている。どこかおかしい。

ここ数年、自転車の前か後ろに荷車を付けた宅配便の姿を見るようになった。1970年ごろまで業務用の実用車が広く普及していて、リアカーを引いているのをよく見かけた。60年代前半には、東京の杉並区あたりでも野菜を積んだオート三輪車が走り、酒屋のご用聞きや豆腐屋、牛乳配達などが堅牢けんろうで重そうな自転車に乗って住宅地を走り回っていた。いまは昔の話だが、荷車を付けた宅配業者を見ると思い出す。

1983年に自転車でヨーロッパを旅した友人がよく話す。自転車専用のレーンと信号機を備えたヨーロッパの道路がうらやましい、と。自転車が貴族の遊びとして始まった英仏に対し、労働者の輸送手段として実用車が先行した日本や中国。これらの地域では自転車が追いやられクルマが跋扈ばっこしている。なぜだろうか。

歩道では、いまや小径車や子どもを前後に載せた電動自転車が我が物顔で走っている。歩道を歩きながら思うのは、結局、よりスピードが速く、大きくて重い車両(vehicles)が幅をきかせ、弱小な車両を抑え込んでいる、ということだ。自転車に愛着を持つ者だから言うのではない。この国の道路事情はどこかおかしい、道にはずれているのではないか。

3 thoughts on “MTBで都心を走る”

  1. 約40年前に自転車でヨーロッパと北アフリカを旅した友人からコメント(「 」内)を得ました。さすが、自転車野郎です。自転車って奥深いですね。( )内は補足。
    「明治末期にはすでに不忍池周回自転車レースが行われていた」(1898年、上野不忍池で大日本双輪倶楽部主催、日本初の自転車競走会開催)…「戦争中の銀輪部隊」(太平洋戦争中フィリピンやマレーシアで編成された軍用自転車部隊)…「昭和23年から始まる競輪」(1948年8月に自転車競技法が施行され、公営競技の競輪が誕生した)

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