memo:自閉する意識

毎日通う事務所の入っている雑居ビルの向かい側に繁盛しているお店がある。いつも活気に溢れていて、この街になくてはならない風景の一つになっている。朝から晩までひっきりなしに客が来る。遠くからの人も多く自転車で来る人も多い。多くの客が外国人で家庭用から業務用まで日々必要な品を買っている。定期的に違法駐車する外交官ナンバーの車もある。

お店とビルの間に一方通行の道路が通っている。その店の軽トラックが1台か2台、我がもの顔でその道路に違法駐車をして荷物の上げ下ろしをする。道路に張り出した低い棚に商品がうずたかく積まれ、店の前の少し空いたスペースでは店員が荷物の整理をしているから、客が自転車を停めるスペースはほとんどない。客たちは当然のことのように、店の向かい側の雑居ビルの前に駐輪する。

僕はそのビルに出入りするたびに、駐車禁止の赤いコーンの前に停められた自転車をよけて通らなければならない。十歩ぐらい余計に歩けばいいのだが、それが気に入らない。両手が空いているときは、自転車を道路の端に移動して重ねるようにする。小さな嫌がらせだが、あまり効果がない。言葉が通じないというよりも、そもそも規範意識が異なっているようなのだ。

大した問題ではないし、こんな瑣末なことを気にする人がおかしいという人も少なくない、いや多くの人々はそう考えるだろう。だが、僕は気に入らない、僕の規範意識が許さないのだ。自転車を停める人だけではない、こういう状況を当然と言わんばかりに商売している向かい側の店の店員と経営者の姿勢が気に入らない。そこを利用し自転車を違法駐輪する人々が気に入らないのだ。

数年前、この店の前の路上で自転車と歩行者の事故が起きた。自転車は逃亡したから捕まらない。被害者は死亡したと記憶しているが、誰も責任をとらない。自分たちに責任があろうはずはないと考えている。実際には、上述の自動車と自転車の違法駐車が招いた二次災害と考えられるのだが。

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