1970年の彼と2020年の僕

二十年前に雑誌「外交フォーラム」(2002年12月)に寄稿した文章を読み返した。日本の大学や高等学校における韓国語教育の実態調査に取り組んでいた時期に書いたので、「学校教育」の側から韓国語学習者を見ている。その一部を引用する(文中の「韓語」は韓国語・朝鮮語の意味)。

「七十年代、日本でとらえられていた隣国のすがたは政治的な側面だけが突出していました…韓語の教科書はわずか二冊、学習者はほとんどいませんでした。カセット教材などなく、韓国のラジオ放送や平壌放送を聞いて発音を覚えました…(02年当時)全国で5000名近い高校生と数万名の大学生(高校生の約0.1%、大学生の1-2%)が韓語を履修しています…彼らはハングルをかっこいいと感じ、韓国映画やKポップが好きで学ぶと言います…」

この文章から約二十年後の現在、日本ではBTS(防弾少年団)に心酔する中高生が増え、韓国ドラマを視聴する中高年も「冬ソナ」以来とどまることがない。若い世代を中心に韓国コスメの人気もすっかり定着した。在日コリアンの四世代に及ぶ歴史と日本社会の不条理を描き2017年に米国の National Book Awards 最終候補作となった”Pachinko”(日本語版は昨夏に発行された)が米国でロングセラーになっている。韓国の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の日本語版が2018年末に出て多くの読者を得ていることも特筆に値する。

これらの事象を「ブーム」として捉える人が多いが、これまで二十年ないし五十年の変化相を見ると、「ブーム」と呼ぶにはあまりに広く深いし多岐にわたっている。これらの「ブーム」を支える何十万何百万の人々が韓国文化にふれ、文化にまつわる経験をしているはずだ。幾千万の人々が国境を越え文化の壁を意識したであろうことも容易に想像できる。

五十年を振り返って、はたと思う。1970年ごろ深夜暗い部屋でKBSラジオの海外同胞向け放送や平壌放送の乱数表(暗号)を聴いて発音を覚えた者と、YoutubeでBTSの歌やインタビューを聴きながら韓国語を学び、その歌詞や発言に感銘を受ける現代の中高生や学生とのあいだに、五十年という時間と明暗のほかにどんな違いがあるのだろうか、と。不必要な緊張を強いられずに好きなKポップを聴き、韓国語を身につける彼らを率直にうらやましく思う。ただ、自分たちの世代が恵まれていなかったとは思わない。まったく違う指向性にみえるかもしれないが、両者ともに自ら好きで隣国の人々と文化に向き合っているのであり、その点ではいささかも異なるところがない。いぶかしく思うかもしれないが、思いは同じなのである。

最近二十年ほどの日本における韓国文化の受容で注目されるのは、孤立しているように見える個人が、単なるわがまま勝手ではない強い意思をしっかり持っていることだ。だから、BTSに近づくために韓国語を学び、彼らとやり取りしようとして突き進んでいく。強靭(きょうじん)ともいうべき個性を持っているからこそ、わき目もふらずに進めるのだろう。五十年前の僕も誰かにいわれて隣国に近づいたわけではないが、彼らほどには個人として強靭でなかった。2008年から十年余りアシアナ航空と韓国文化院が主催する高校生の韓国語・日本語コンテストを通じて接した全国の高校生たちは堂々としていて、(ひる)むところがない。彼らの家族や学校教育関係者がどう後押しするかが問われている。

在日コリアンの歴史を描いた”Pachinko”がなぜ米国社会に広く受け入れられているのか、よくはわからない。ただ、日本のように「単一民族」性の根強い社会よりも米国のような移民社会の読者のほうが在日コリアンの歴史を理解しやすいことは間違いない。”Pachinko”の読者はそこに描かれた日本社会の閉鎖性と他民族を社会の構成員として受け入れない硬直性に驚き呆れ、米国社会の基本枠組みにもとづいて軽蔑すらするだろう。在米コリアンの著者は、たとえば、パチンコ店で働く一人の人物を通して60-70年代に祖国に希望を見出しながら日本社会を離れた在日コリアンの姿を鮮やかに描いている。彼女の優れた取材と構想力は自身の移民二世としての体験と米国という多民族社会でこそ培われたものだと考える。

他方、日本ではあまり知られていないが、これまで二十年のあいだに急速に「多文化」傾向が進行している韓国社会の変化も見逃せない。この変化が上述のこととどう関係しているか不明だが、どこかで影響しているように思う。雑駁(ざっぱく)な表現ながら、「多文化」社会への進行度合いにおいて、日本の閉鎖性と息苦しさは韓国よりもむしろ北朝鮮に近いのではないか。日本に欠けている「多文化」性が韓国社会にはある、若い人々はそれを鋭敏に感じていると思う。彼らをKポップスターに引きつけてやまない要因のひとつがそこにあるかもしれない、と考えている。

日本における韓国文化の広がりと深まりは決して揺らぐことはないだろう。この五十年のあいだに人々の営みにより水嵩(みずかさ)を増した文化が滔々(とうとう)と流れているからだ。一方で、かつて日本の複数の新聞が「地上の楽園」と呼び、在日コリアンが嬉々(きき)として万景峰(マンギョンボン)号に乗って渡って行った北朝鮮と日本のあいだには深い不信と疑心暗鬼が堆積している。日韓の政府関係も歴史問題をめぐって深刻な膠着(こうちゃく)状態にある。

あえて言いたい。日韓・日朝の政府・外交関係と日本における韓国文化の受容状況を並列し、同次元で論じてはならない。自国はおろか自党の利害しか考えない双方の政治家や偏頗(へんぱ)なイデオロギーに囚われた人々の扇動(せんどう)に振り回されてはならない、と。韓国文化を受容している現代の中高生や大学生が決して愚かな政治家や似非(えせ)ジャーナリストに振り回されないことを信じ、日韓・日朝関係の将来を君たちに託したいと思う。意識していないだろうが、君たちは隣国の人々と文化に自ら進んでアプローチしている。だから、自分たちの感覚や考えを持ち続けられると思うからだ。

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