小径車で通勤

通勤用に折りたたみの小径車を買いたいと思う。愛知県の自転車メーカーがデザインし中国で生産している。英米からの輸入品に較べ格安だ。ディスクブレーキだし、デザインもいい。

Ichinomiya Cycle LX-F16 Black 16in 12kg
Ichinomiya Cycle YZ-14 Dark green 14in 14kg

下の写真は30年以上前に持っていた宮田製作所(現ミヤタサイクル)の折りたたみ自転車だ。3段ハブギアで5万円もした。盗難に遭って今はもうない。だから、通勤用に高価なものは買いたくない。

老いた少年

70年代初めに神保町の書店で一年余り一緒に仕事をし、親しかった友人がいる。無類の本好きで、長年古書店に勤めていた。少年っぽいところがあったからか女性にもてたが、社交的ではなかった。その後、職場も変わり疎遠になり、たまに連絡しあうだけとなった。交信手段は携帯電話だけで、50年前の電話とあまり変わらない。

1ヵ月ほど前、その老少年から電話があった。電車に乗っていた僕はあわてて降り、駅構内の静かなところに移って約30分話した。もしや、僕が死んでいるかと思うと怖くて、なかなか電話できなかったという。入退院を繰り返しながらも元気だが、足の痛みがひどく、外出はほとんどできないようだ。夫人と二人暮らしで、近くに娘夫婦がいて孫もいる。近々、訪ねて行くことにして、電話を切った。

翌週、何年かぶりの再会を果たした。彼の最寄り駅近くにあるとんかつ屋の個室で向き合って話し込んだが、何を話したのか、近況を伝えた以外はあまり覚えていない。少しさびしい気もするが、たがいに元気でいることを確かめるために会ったのかもしれない。

とんかつ屋を出たあと、僕はもう少し話したかったが、彼にはあまりその気がなかったのだろう。駅のほうに向かって踏み切りをわたると、<シアトル教会>があった。その通りに面したテーブル席に誘ったのは僕のほうだった。

そこにいる間、僕は彼のスマホにSNSを設定する作業に費やした。二人のあいだのやり取りを容易にしたかったのだが、彼はそれを好まなかったようだ。ただ、その場では何も言わずに僕がするままに任せていた。ひとこと言ってくれていたら、相応の対応ができたろうに。

一週間後、SNSで電話をしても受けなかったので、在来の電話を使って連絡すると、受けとった。僕がSNSを使うように促すと、「いったい何様だと思ってるんだ、己は使わないから」と言う。「とにかく、もういいから」と言って切られてしまった。後味の悪い電話だったが、向こうも同じだったろう。

このまま二度と会わないかもしれない。その蓋然性が高いだろう。親しい間がらというのも案外もろいものだ、と思った。

タンゴの魅力: milonguero

MTBより少し前に習いはじめたタンゴから遠ざかって久しい。コロナ禍もあってミロンガ(タンゴ・ダンスパーティ)にも行きにくくなった。そんなとき、パリ在住のタンゴ歴23年という先生のサイト作りを手伝う機会に恵まれた。以下、その一部を紹介したい。

アルゼンチンタンゴというと、一般的にテレビなどマスメディアで紹介されているショータンゴを思い浮かべる人が多いのですが、実際のブエノスアイレス市民の間で昔から現在まで踊られている伝統的なタンゴは、それとはだいぶ趣を異にしています…

“Tango Milonguero”の言葉の意味は、Tango(踊り)とMilonguero(踊りの名人、もしくは踊りのスタイル)が合体したもので、いわば「名人の踊り」ともいえます…

ajo & yoko

Wakako Studio 「アジョとYOKOの放談」シリーズを紹介します。YouTube で公開されている音声録音です。

nothemes
1いつもはパリに住んでいるアジョと、ずーっと東京・西荻のヨウコです。今回、コロナ禍のせいで…時間ができておしゃべりしているうちに…
https://www.youtube.com/watch?v=epStx8a5BBA
2「日本では皆おなじ意見を強いられる?」に驚いたパリ暮らしのアジョと「社会的レベル」というものに疑問を持っていた Yoko.
https://www.youtube.com/watch?v=YPQyguPCDUo
3誰かを下にして差をつけないと自分が見えない! これが案外多いのだ。そんなところがないか、心のなかを見つめてみよう…
https://www.youtube.com/watch?v=gH6El788y5Y&t=24s
4男の目と女が身に着ける物をどう選ぶのか? パリ・イタリア・日本で違いはあっても…表現の贅沢と自由とは何か、何が一番重要か…
https://www.youtube.com/watch?v=Vz-ceswNE4A&t=22s
5今までいろいろな出来事が…その時々は苦しかったけれど、周りの人や自然の木々、風にどれだけ助けてもらったことか! 自然はいつも…
https://www.youtube.com/watch?v=H83bYEucHPM
6それぞれの言動は良くも悪くも自分自身に返ってくる。いつの時代もどこの国でも人に対する優しさが大切なんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Pnusrc-1Xf4
7既に生命の神秘や尊厳に踏み込んでしまっている現代だが… 改めて個々が原点に帰って考え直してみることが必要なのでは!?
https://www.youtube.com/watch?v=HmtQEL3vmjM&t=25s
8もうそろそろ自分の意思で何が真実か、調べたり勉強したり考えたりしないとね…!
https://www.youtube.com/watch?v=tV1kdxxAlFY&t=15s
9意思の疎通とは何か? 優しさとは何か? 人間の価値とは何か? ふと身の周りを注意深く見つめてみれば、新たな無数の発見がある…
https://www.youtube.com/watch?v=DNABTHoaV7U&t=5s
10”ありがとう”の言葉のパワーは自分も周囲も幸せにする源。試してみよう。マスクをする心理状態は、実は…!?
https://www.youtube.com/watch?v=ydG3KqpzLOA&t=2s
11本来、人間の持つ自然治癒能力は想像以上に凄いのだ。そして、どれだけ微生物や細菌に助けられて生かされていることか…!! 感謝…
https://www.youtube.com/watch?v=aNKype45Kw8
12いくら年齢を重ねても、想像力が稀薄だと、つまらない人間になる。ときには人生の意義を深く掘り下げて考え、哲学を持たないと…
https://www.youtube.com/watch?v=gN7JnpyqhFk
13「人間にレッテルは要らない」。大切なのは人間を深く知ること、特に子どもたちの無限大の可能性を引き出すには一人ひとりの個性を…
https://www.youtube.com/watch?v=hFXUIHZyXkQ&t=1s
14運慶は、ミケランジェロは、何を語っているのか? 芸術の投げかけるものは、まさにそこに居合わせた自分の魂と響き合い、生きる糧を…
https://www.youtube.com/watch?v=VM-u_ZbftgE&t=10s
15「バスク」民族とその文化。歴史的な日本とのかかわり。
https://www.youtube.com/watch?v=VjkXAJYTdyo&t=58s
16歳を重ねるのはすてきなこと。本や映画等は時間と共に受け止め方が変化する。そこから自分自身や人間への理解も深まってくる…
https://www.youtube.com/watch?v=31Lp5VB7l0M&t=4s
17「8月が来る度に」敗戦したということに真正面から向き合い、そこから本当に大切な日本の精神を深く考える必要があるのではないか。
https://www.youtube.com/watch?v=3T8kWLVjzsA
18「お金は魔物であるけれど」 人間にはその辺の意識を超えた崇高な魂の行動があるのも事実だ。それはもう魔物の出る幕ではないのだ
https://youtu.be/4rc_DsvKw6o
(to be continued)

「縦書き文庫」8月順位で上位に

拙著「いつか名もない魚(うを)になる」が縦書き文庫8月の順位で上位に入りました。読者のみなさまのお蔭です。ありがとうございます。→「縦書き文庫」8月の全50位

notitleauthorpoints*
1こころ夏目漱石2724(783)
2方法序説ルネ・デカルト1150(430)
3君主論マキャヴェリ698(359)
4地下室の手記(「地下
生活者の手記」)
ドストエフスキー670(30)
5吾輩は猫である夏目漱石436(108)
6坊っちゃん夏目漱石398(487)
7ピーターパンと
ウェンディ
ジェームス・マシュー・バリー381(493)
8純粋扉で夏みかん柿原 凛**335(26)
9人間失格太宰治290(109)
10ダブリンの人たちジェイムズ・
ジョイス
235(257)
1180日間世界一周ジュール・
ヴェルヌ
225(127)
12ヴェニスの商人メアリー・ラム196(32)
13無宗教派の人びと(「いつか名もない魚(うを)になる」含む)小栗 章**159(16)
14五重塔幸田露伴114(–)
15道教に就いて幸田露伴90(–)
16蜘蛛の糸芥川龍之介89(115)
17阿部一族森鴎外87(–)
18高瀬舟森鴎外82(55)
19山月記中島敦71(168)
20アルセーヌ・
ルパンの逮捕
モーリス・
ルブラン
68(42)
*( )内は7月のポイント数 [–: 該当なし] **新規投稿者

各タイトルをクリックすると縦書き文庫で読むことができ、作者名をクリックすると同文庫に掲載された作者の全作品が表示されます。 「いつか名もない魚(うを)になる」 はシリーズ化し「無宗教派の人びと」に含めました。

この表示にはトリックがあります。著名な作品は常に上位にありますが、僕のような新規投稿作品は投稿月と翌月ぐらいしか載りません。当然のことですが。

夏休み、五十数年前といま

Wanda Landowska; the Well tempered clavier, Glenn Gould; Bach English suites などの器楽曲を聴きながら、むし暑い部屋のなかで安楽椅子に深々とすわって本を読む。本こそ違え年齢は違っても気持ちは五十数年前に高校生だったときの夏休みと同じだ。錯覚といわれればそのとおりだが、記憶力の悪い僕には錯覚だとは思われない。まったく同じ時空にいるような気がするのだ。病んでいるといわれれば、そうかもしれない。

きょう読んだのは民法の判例集。たとえば次の事例(大審院連合部判決明治41年[1908]12月15日民録14輯)、もちろん縦書きである。

(そもそも)民法に(おい)て登記を(もっ)て不動産に関する物権の得喪(とくそう)及び変更に(つい)ての成立要件と()さずして(これ)を対抗条件と為したるは既に(その)絶体(マゝ)の権利たる性質を(かん)(てつ)せしむること(あた)わざる素因(そいん)を為したるものと()わざるを得ず。(しか)れば(すなわ)其時(そのとき)(あるい)待対(たいつい)の権利に(るい)する(きらい)あることは必至(ひっし)(ことわり)にして(ごう)(あやし)むに()らざるなり。(これ)を以て物権は(その)性質絶対なりとの一事(いちじ)は本条(民法177条*)第三者の意義を(さだむ)るに於て(いま)(かならず)しも之を重視するを()ず。

加之(しかのみならず)本条の規定は同一の不動産に関して正当の権利(もし)くは利益を(ゆう)する第三者をして登記に()りて物権の得喪(とくそう)及び変更の事状(じじょう)知悉(ちしつ)し以て不慮(ふりょ)の損害を(まぬが)るることを得せしめんが()めに(そん)するものなれば(その)条文には特に第三者の意義を制限する(ぶん)()なしと(いえど)其自(それみずか)ら多少の制限あるべきことは之を字句(じく)(ほか)に求むること(あに)(かた)しと()ふべけんや。

*第177条 [不動産に関する物権の変動の対抗要件] 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。

memo: ネコの菩薩とデクノボウ

無宗教派の総本山のひとつ、副都心にある教会ビル地階に彼女と二人でゆっくり降りていった。上方(じょうほう)湾曲(わんきょく)した鉄骨とガラスで造られた巨大なドーム屋根があり、鉄骨で仕切られた分厚いガラス越しにビル群と空が見える。その下の大広場は荘厳(そうごん)な空気をたたえ、無宗教派らしい建築様式を誇っている。人々はそこにいるだけで敬虔けいけんな気持ちになるのだった。

広々とした空間を囲む壁の一辺にコーヒーショップの丸テーブルが十(たく)ほど並んでいる。そのなかほどに陣取(じんど)って三時間あまり、イヌ族であるはずの僕は延々(えんえん)とネコ族にまつわる話を()き、相づちを打った。気むずかし屋の僕がよく笑い、彼女に負けじと饒舌(じょうぜつ)になった。三時間というのは腕時計の針がそう示していただけで、すっかり時間の経過(けいか)を忘れ、ほんの瞬間としか感じられなかった。彼女はネコ族らしい有能な話し手であり聞き手であった。多才な通訳者でもあるに違いない。

1970年代初めに서울の地下鉄構内で出会った老人について彼女に尋ねるべきだった。プラットホームと改札口レベルをつなぐ長いエスカレータが四本左右に並んでいた。中央の二本は下りで両端の二本が上り用だった。向かって右端の上りに乗っていた僕が見上げると、下りレーンのはるか上方から一人の老人が両手を広げ、まるで預言者が下界に降りながら人々に語りかけるように熱っぽく何かを訴えていた。彼が何を語っていたのか知りたかったのにわからないままなのだ。それを彼女に聞いてみたかった。

1980年代初めにネコ語を解すという小説家がいたが、僕はまったく信用しなかった。でも、きょう会った彼女は違う、ヒト族の言葉だけではなく、本当にネコ語を理解できるようなのだ。ネコなで声など、いとも簡単にゴロゴロあやつる。ネコ族に人知れず関心を抱いていた僕は彼女の話に夢中になり、その術中にはまってしまった。進んでかされたのである。そのせいだろう、何を話したのか、ほとんど覚えていない。

副都心駅まで一緒に歩いて別れたが、夜行性の生活者は十年以上都心に来たことがなく、その変貌(へんぼう)ぶりに驚いていた。前の晩もネコの(れい)に導かれるままに郊外の真っ暗な道路を運転していくと、巨大に明るいところに着き、その路上にネコの死体が横たわっていたという。タヌキの警官が検分(けんぶん)をしていたそうだ。昨夜も、僕と別れたあと皮膚ガンで顔が異様にふくらんだネコの看病(かんびょう)に行くのだと話していた。いまは自宅と彼女の勤める工場の構内に棲息(せいそく)する二十匹以上のネコの面倒(めんどう)をみているそうだ。

彼女は長いあいだ複数の国のさまざまな言葉を話す人たちと一緒に()らしていた。ある人は台湾(たいわん)語を話し、またある人は韓国語を話した。彼らのあいだの頼りない共通語は独特の日英語ともいうべきもので、ある時は日本語に聞こえ別の時には英語に聞こえた。大事なことは、彼らのあいだにそういう共通語が(つく)られたということだ。

日本島の経済状況に応じて共同生活者の人数は増減を繰り返したが、ある時期から減り始め、もとに戻ることはなかった。(にぎ)やかだった昔をなつかしみ、こい()がれたが、そこに帰る(すべ)はなかった。彼女は孤独感にさいなまれ人知れず()んでいた。医者にきいても確たる診断はない。そのころからだった、彼女は路上をうろつくネコたちに引かれるようになった。

ここまで彼女という三人称単数形を使って書いたが、それはある特定の個人をさすのではなく、ネコ族を献身的(けんしんてき)にサポートする複数の人たちの象徴(しょうちょう)であり、現代人そのものでもある。いつか、彼女たちとネコ族との関係について小説を書きたいと思う。それは童話の形式になるかもしれない。彼女たちが先に書くかもしれない。ちなみに、デクノボウというのは宮澤賢治の雨ニモマケズに登場する菩薩の修行者の意味である。

「いつか名もない魚になる」の下書き段階で、都会で野生化したネコ族が自販機(じはんき)を襲撃する事件が増え、2030年の日本島では自販機が禽獣(きんじゅう)を入れる(おり)のような(てつ)格子(ごうし)(おお)われているだろうと書いた。彼女の話を聴いている限り、ネコたちが野生化して獰猛(どうもう)なネコ族になることは想像しにくいのだが、その浸透ぶりはいつか彼らが人々の脅威(きょうい)になりかねないという不安を抱かせる。

a memory landscape

Shanghai Jiao Tong University, 2007上の写真は上海交通大学の構内にある建物です(2007年撮影)

カブァン(1897-1968)が上海亡命中1920年末から24年にかけて通ったミッションスクール Eliza Yates Girls’ School (晏摩氏女中、自伝は 암마씨스쿨 というハングル表記のみ、漢字名と英字名は上海市立図書館所蔵の資料による)があったと推定される場所に建っています。というより僕はその前に立っている、ずっと立ち続けているのです。

下の写真は同校1926年の年報に掲載された校舎です。上の写真と比べると、窓の数が異なるところもありますが、ほぼ同じ姿をしています。下の写真の建物は3階ですが、上のは4階かもしれません。極めてよく似ています。

以下はカブァン満9歳から29歳まで(30歳以降も付記)の年譜です。(  )内に陰暦ほかを記しました。

1907年 3月14日 初揀擇の儀(2月1日、徳寿宮)、カブァン皇太子妃候補に選ばれる
6月 ハーグ密使事件
8月 純宗、大韓帝国皇帝に即位、イウン皇太子に即位
12月5日 イウン日本へ連行される
1908年
1月23日 第2回揀擇の儀、婚約指輪が閔家に届けられる(07年12月20日)
1909年 10月26日 伊藤博文、安重根に暗殺される
1910年 8月22日 「日韓併合条約」調印
1916年 8月3日 イウンと梨本宮方子の婚約、日本の新聞に発表される
1918年 1月13日 イウン韓国に一時帰国する(17年12月1日)
1月31日 カブァン婚約破棄を迫られる(17[丁巳]年12月18日)
2月13日 カブァンとイウンの婚約破棄される(18[戊午]年1月3日)
7月5日 カブァンの祖母死去(5月27日)
1919年 1月4日 カブァンの父、閔泳敦死去(18年12月3日)
1月21日 高宗(李太王)の崩御(18年12月18日)公表される(12月20日)
3月1日 三一独立運動始まる
1920年 4月28日 イウンと梨本宮方子結婚する
7月22日 カブァン弟チョネンを連れ上海に亡命、東亜飯店(南京東路に面したホテル)に約3ヵ月滞在する
10月 フランス租界宝裕里に引っ越す、カブァンとチョネン晏摩氏スクールに入学。カブァン3年余り在籍
1924年初め カブァン日本官憲の追跡を恐れ同スクールを退学、山海関路に引っ越す
1927年 5月30日 イウンと方子ヨーロッパ旅行の途次、上海港沖で軍艦八雲に停泊(不穏な動きがあり上陸できず)

「縦の流れ」思考

「文字を追いながら、あるいは文字を(つむ)ぎながらでないと、思考が論理性を持っていかない…日本語は(たて)の流れのなかで思考する言語なので(たて)書きを手放すわけにはいかない」という一人の高校教員の文章に接し、大いに触発され考えさせられました。

いろいろ検索していたら、縦書き文庫という縦書き組版を提供する電子書籍サイトに出会いました。縦書き作品を普及させるべく無料で運営されています。試しに老書生の処女作をアップしてみたら、ヨコ書きで読んでいたのとは違った感覚がある。タテ書きで育った世代だからでしょうか、すーっと頭に入ってくるような気がしました。

ただ、スマホやPCの普及ですべてがヨコ書きになり、「日本語はタテの流れのなかで思考する言語」などという意見は片隅に追いやられてしまう昨今です。だから、あえて「タテの流れ思考」について考えてみたい、と思います。

漢文教科書の日韓比較 2000年ごろ(菊池明範氏提供)

馬場先生

先生に初めて会ったのは1998年8月に東京で開催された韓国朝鮮語の高校教師研修会のときだったろう。先生が勤めていた菊池農業高校を訪ねたことがある。同校は韓国全域にある農業高校との交流を実施しており、先生はその推進役を担っていた。

先生は6年あまり、熊本近代文学館で研究しながら「文学として」韓国や東アジア諸国とつながることをテーマに人脈を広げていった。2008年に始まったクムホアシアナ杯高校生大会の日本語エッセイ部門は、先生の人脈なしには成り立たなかった。

先生は人の話を真摯(しんし)によく聞く。僕の話もよく聞いてくれる。そんな先生の人となりを彷彿(ほうふつ)とさせる一人の中学生とのエピソードが天草高校のサイトに載っているという。それを教えてくれたのは、同じくクムホアシアナ杯の日本語エッセイ部門立ち上げに深く関わった中大杉並高校の菊地先生だった。二人とも国語の先生だ。

(ある日の朝、一人の中学生が先生の官舎の前で自転車のギアにゴムひもをからませて途方(とほう)にくれていた。先生ほか三人が彼女を親身になって助けたが、しばらく経った雨の降る晩、その中学生が母親とともに官舎を訪ね(何度か訪ねた末にようやく)、お礼の手紙を届けてくれた。

このあいだはありがとうございました。
お仕事の時間ギリギリまでつきあわせてしまい、このあとどのようにすればいいかまで教えてくださり、本当に感謝しています。そして、自転車はすっかりなおり、
いつもどおりに乗ることができています。これからもお体にお気をつけてお過ごし
ください。

この手紙を読んだ先生は、海岸沿いに歩いていた中学生の自分を思い出す。

……私は、天草(あまくさ)町高浜(たかはま)の出身です。中学に入学したばかりの時、小学校からの友人が苓北(れいほく)町の医師会病院に入院したので、バスを乗り継(つ)いでお見舞(みま)いに行ったことがあります。
 しかし、話に夢中になって、母と約束した午後四時過ぎのバスに乗り遅れてしまいました。バスの時刻表を見ると、次の最終バスが出るのは午後六時過ぎ。二時間ほどあります。当時はスマホもなく、親に連絡する手段もないので、『母が心配するだろうな』と思うと、いつの間にか海岸沿いの道を歩き始めていました。
 やがて辺りを夕日が赤く染め、そして、日が落ち、足元も見えないくらいの闇がやってきました。怖くて歩を進めるのだけれど、行っても行っても、灯(あか)り一つ見えてきません。波の音が静かに響いているだけです。
 やっと、道のはるか遠くに灯りが見え始め、泣きながら必死に走ってたどり着いたのは、下田温泉の停留所でした。ベンチにすわって泣き声を必死にこらえながら泣いていると
 『どうして、もっと早く帰らなかった』と自分を責(せ)める声が響いてきます。
 しかし、それに答えることができないので、また、涙を流すのです。
 あの時、あのバス停に人がいたら、たぶん、変な子供だと思われたかもしれませんが、抱き着いて泣いていたような気がします。
 しばらくすると、丸い灯(あか)りを灯(とも)したバスがやってきて、無事高浜まで帰ることができました。
 案の定(あんのじょう)、母にはこっぴどく叱(しか)られました。しかし、母のもとに帰ってくることができたというのがとても嬉(うれ)しかったのを覚えています。
 だから、というわけではないのですが、困っている人を見ると、自分ができる、できない、ということを飛び抜かして、声を掛(か)けてしまうのです。
 誰かが横にいてくれるというだけで心が安らぐ、安心できるということを体験したから。

馬場先生や菊地先生と会うと、延々と話が続き笑いが絶えない。三人の共通点はいくつかあるが、その最大なものは「多情多恨(たじょうたこん)」であろう。お二人は否定するだろうが…

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