母方の祖父

上野駅周辺を歩いていると、いつしか70年代の서울の光景と二重映しになる。その記憶のさらに遠くに母方の祖父の姿が浮かぶ。

[祖父は孫のなかでも僕を特にかわいがってくれた。母が末娘だったからだろうか。ときどき家に来ては庭の草取りをし、垣根かきねのヒバをってくれた。高校受験のためA市に行ったのも祖父と二人だった。最後の蒸気機関車の旅だった。汽車がトンネルに入るとすすが入ってきて、祖父があわてて窓枠をおろした。あのときの祖父の笑顔、煤でざらざらした木の窓枠、学生服の袖口から出た白いシャツ、汽笛の音のなかにそんな映像が浮かぶ。地方の農村で育った祖父は若いころ田畑を処分して夫妻で上京し、上野駅構内でスリに襲われて、全財産を失った。途方とほうにくれた祖父はバナナのたたき売りから始め、上野のほおずき市や植木市を転々として、もうけの多い植木と生花商に落ち着いた。一緒にふろに入ると、かめの子たわしでごしごし背中を洗わされた。どんなに力を入れても痛いと言わない。よく笑いながら僕をしかったが、僕も笑っている。そんな祖父と目の前の老人がどこかでつながっている]

1932年に完成した上野駅の広小路口駅舎

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