上の写真は上海交通大学の構内にある建物です(2010年撮影)。
ミンカブァン(1897-1968)が上海亡命中1920年末から24年にかけて通ったミッションスクール Eliza Yates Girls’ School こと晏摩氏女中(自伝では 암마씨스쿨)があったと思われる場所に建っています。
下の写真は同校1926年の年報に掲載された校舎です。上の写真と比べると、窓の数が異なるところもありますが、ほぼ同じ姿をしています。下の写真の建物は3階ですが、上のは4階かもしれません。極めてよく似ています。
以下はカブァン満9歳から29歳まで(30歳以降も付記)の年譜です。( )内に陰暦ほかを記しました。
1907年 3月14日 初揀擇の儀(2月1日、徳寿宮)、カブァン皇太子妃候補に選ばれる
6月 ハーグ密使事件
8月 純宗、大韓帝国皇帝に即位、イウン、皇太子に即位
12月5日 イウン、日本へ連行される
1908年 1月23日 第2回揀擇の儀、婚約指輪が閔家に届けられる(07年12月20日)
1909年 10月26日 安重根、伊藤博文を暗殺する
1910年 8月22日 「日韓併合条約」調印
1916年 8月3日 イウンと梨本宮方子の婚約、日本の新聞に発表される
1918年 1月13日 イウン、韓国に一時帰国する(17年12月1日)
1月31日 カブァン、イウンとの婚約破棄を迫られる(17[丁巳]年12月18日)
2月13日 カブァンとイウンの婚約、破棄される(18[戊午]年1月3日)
7月5日 カブァンの祖母、死去(5月27日)
1919年 1月4日 カブァンの父閔泳敦、死去(18年12月3日)
1月21日 高宗(李太王)の崩御(18年12月18日)公表される(12月20日)
3月1日 三一独立運動始まる
1920年 4月28日 イウンと梨本宮方子、結婚する
7月22日 カブァン、弟チョネンを連れ仁川を出航、上海に亡命、東亜飯店(南京東路に面したホテル)に約3ヵ月滞在する
10月 フランス租界宝裕里に引っ越す、カブァンとチョネン、晏摩氏スクールに入学。カブァン、3年余り在籍
1924年初め カブァン、日本の官憲の追跡を恐れ同校を退学、山海関路に移る
1927年 5月30日 イウンと方子、ヨーロッパ旅行の途次、上海港沖で軍艦八雲に停泊
- 1928年10月22日 カブァンの母、死去(9月9日)
- 1931年 9月18日 満州事変、万宝山事件勃発
- 1932年 共同租界愚園路に移転
- 1935年 チョネン、結婚のため一時帰国(12月7日に婚姻の届出)
- 年不詳 共同租界膠州路に移る
- 1945年 8月15日 太平洋戦争終結、朝鮮解放される
- 1946年 6月 カブァンとチョネンの家族、祖国に帰国する、ソウル駅前の大同旅館に滞在
- 1947/48年 六親等の弟の家の離れに移り、約2年滞在
- 1949/50年 妹マンスンの家に移り、数ヵ月滞在、寺洞宮に移動
- 1950年 6月25日 朝鮮戦争勃発、清州に疎開、カブァンとチョネンの家族、プサンに移る
- 1953年 7月 朝鮮戦争、停戦協定に調印
- 1962年 10月 『百年恨』出版される
- 1968年2月5日 チョネン、死去(1月7日)
- 1968年 2月18日 カブァン、死去(1月20日)