鷗外の「ヰタ・セクスアリス」(1)(2)

漱石より鷗外(1862-1922)が好きな僕は高三か浪人のときに「ヰタ・セクスアリス」を読んだ。1909年、鷗外が満47歳のときの作品だ。タイトルはラテン語だが「わが性慾に関する手記」ぐらいの意か。「ヰタ・セクスアリス(その二)」と名付けたい。

前回も辞書を引きひき読んだのだろう。文中に出てくる漢語もさることながら、独英仏羅希語が登場し、意味を確認しないと読み進められない。neugierde というドイツ語(英語 curiosity)が頻出した。鷗外の観察眼は()めた好奇心とでも呼ぶべきもので、けっして性慾に淡泊なわけではないが、受動的である。

一日置いて「舞姫」を読んだ。1890年の発表だから、鷗外が28歳のときに書かれたものだ。少なくとも二度は読んでいるはずだが、今回はまったく別物のような気がした。「ヰタ・セクスアリス(その一)」と名付けたい。かくも生々しい物語だったのか、と呆れる。若かったとはいえ、上滑りして読んでいた自分が恥ずかしい。

森鷗外(1862-1922); 二葉亭四迷(1864-1909); 夏目漱石(1867-1916)、三人並べると、鷗外が最も早く生まれ、最も長く生きている。専門の語学はそれぞれ独・露・英語である。鷗外と二葉亭は英仏語もできたろう。三人の漢籍の知識は到底僕の及ぶところではない。

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