「大菩薩峠」を読み直す(1)

中里介山なかざとかいざん(1885-1944)の「大菩薩峠」を50年ぶりに読み始めた。ぐいぐい引き込まれ、一気に10巻ほど読んだ。前回は「世界一の長編」と知って読んだのだが、半分ほどで放り出したと思う。[写真: 大菩薩観光協会「大菩薩の風景」より転載]

今回読むまでは、主人公とされている机竜之介りゅうのすけの「音無しの構え」ぐらいしか覚えていなかった。だが、今回は読み方が違う。前半だけでも、裏宿うらじゅく七兵衛(江戸中期青梅に実在した義賊と同名)、医者の道庵どうあん、部落出身の米友よねともとお君と黒いムク犬、竜之介の父親に拾われた与八、竜之介に祖父を斬られたお松、神尾主膳しゅぜん、駒井能登守のとのかみこと甚三郎じんざぶろう兵馬ひょうまほかが登場する。歴史上の人物が少なからず実名で登場する。

実在の人物を含め、多くの登場人物がこの小説の主人公で、作者は彼らを通して幕末という時代の実相を描こうとしたのではないか。全体の三分の一を読んだ時点の仮説に過ぎないが、こう考えると、各巻の描写が「大乗小説」の場面として理解されるように思う。

時代設定は幕末だ。「都新聞」に連載したのが1913-21年、単行本を発行、1927-41年に新聞・雑誌等に連載しているから、第一次大戦から第二次大戦に至る富国強兵策を突き進んだ日本社会の病相を映しているだろうし、作者の社会・人生観に根ざしているに違いない。

平民新聞に寄稿し日露・日中戦争に反戦の立場を取っていた中里が、小説連載をやめた41年12月に勃発した日米開戦に雀躍したというから、その思想はまだよくわからない。ただ、自作を「大乗小説」と呼んでいた以上、大乗仏教の影響は確かだろう。「世界一の長編」「未完の長編」というのは外形の要素でしかない。

1935-36年に大河内伝次郎、57年に片岡千恵蔵、60年に市川雷蔵、66年に仲代達矢がそれぞれ竜之介役を演じる映画が制作され、その後の時代劇映画に多大な影響を及ぼしたようだ。

no「大菩薩峠」巻名字数執筆年
1甲源こうげん一刀流の巻 153,5171913-14
2鈴鹿すずか山の巻 83,5801914
3壬生みぶと島原の巻 121,5021914
4三輪みわの神杉の巻 106,8561915
5竜神りゅうじんの巻 76,9311915
6あいの山の巻 13,9571917-19
7東海道の巻 105,7991917-19
8白根しらね山の巻 87,7421917-19
9女子と小人しょうじんの巻 98,6371917-19
10市中騒動の巻 28,1791917-19
11駒井こまい能登守のとのかみの巻 98,9571917-19
12伯耆ほうき安綱やすつなの巻 84,6421917-19
13如法にょほう闇夜やみよの巻 152,3281917-19
14お銀様の巻 165,9811917-19
15慢心まんしん和尚おしょうの巻 144,2161917-19
16道庵どうあん鰡八ぼらはちの巻 135,3681917-19
17黒業こくごう白業びゃくごうの巻 156,8541917-19
18安房あわの国の巻 163,3531921
19小名路こなじの巻 170,3571921
20禹門うもん三級の巻 146,0341921
21無明むみょうの巻 206,7151925-28
22白骨しらほねの巻 229,0801925-28
23他生たしょうの巻 247,3891925-28
24流転るてんの巻 284,3431925-28
25弥帝夜みちりやの巻 176,6591925-28
26めいろの巻 285,0031925-28
27鈴慕れいぼの巻 119,4171925-28
28Oceanの巻 98,1741925-28
29年魚市あいちの巻 359,2111928-30
30畜生谷ちくしょうだにの巻 118,2641931
31勿来なこその巻 230,1551931
32弁信べんしんの巻 111,8091932
33不破ふわの関の巻 129,3901932
34白雲はくうんの巻 162,5041933
35胆吹いぶきの巻 98,2071933-34
36新月の巻 312,2031934
37恐山おそれざんの巻 391,8241934-35
38農奴の巻 49,0591938-41
39京の夢逢坂おうさかの夢の巻 202,2141938-41
40山科やましなの巻 291,4471938-41
41椰子やし林の巻 281,4111938-41
6,679,268
字数: 縦書き文庫版 執筆年: Wikipedia大菩薩峠(小説)
大菩薩観光協会「大菩薩の風景」より転載
https://www.instagram.com/ ryuta0825さん投稿

12 thoughts on “「大菩薩峠」を読み直す(1)”

  1. 8巻まで読んだ。幕末における日本社会の乱れを活写しながら批判的に描いている。裏宿七兵衛は義賊とはいえ盗人であることに変わりはない。竜之介は剣術家ではあるが、人を斬ることを何とも思わない。お君や米友は部落民のようだ。実名で登場する浪人たちにも狼藉者が多い。幕末日本の混迷ぶりをよく描いている。

  2. 4/28、介山の大菩薩峠が漱石の坊ちゃんを抜いて、4月の縦書き文庫ランキングで一位になった。快哉

  3. 如法闇夜の巻の竜之介による辻斬りの描写を読みながら、彼を殺人鬼として捉えつつも、それが戦争における殺戮行為を描いているように感じた。同じ巻の神尾主膳守の酒乱の場面にも人をなぶりものにする狂気を感じた。

  4. 17巻まで読んだ。この小説が描いているのは幕末の時代のうねりのなかで翻弄される人々だろうと思う。作者の意図は時代のうねりに抗いつつも逞しく生きる人々を描くことにあったと思う。主人公は決して机竜之介でも駒井甚三郎こと能登守でもない。しいていえば、部落出身のお君と米友とムク犬であろうか。司馬史観ならぬ中里史観とでも呼ぶべきものがあるように思う。

  5. 駒井甚三郎(じんざぶろう)こと能登守(のとのかみ)は小栗忠順(ただまさ)こと上野介(こうずけのすけ)をモデルにしているのではないか。確証などあるわけではないが、そんな気がしてならない。

  6. 小説の舞台は幕末期の日本だから、当然のように攘夷派(南條力ほか)と佐幕派(山崎譲ほか)の抗争を描いている。一方で、そんな対立に振り回され、利用し利用される人々が大勢いて、小説の重点はむしろ彼らにある。七兵衛や百蔵は両派の抗争に関わりながら利用しているようにみえる。兵馬は利用されている面が大きく、竜之介は関わりながらも振り回されてはいない。竜之介は一方で辻斬りの殺人鬼でもある。医者の道庵の家に隣接して建つ鰡八の豪奢な屋敷は明治期の鹿鳴館とそこに集う人士を彷彿とさせる。登場人物がそれぞれ個性を持ちながら全体として幕末期の喧騒ぶりを浮き彫りにしている。混沌としていて掴みどころがないようにみえる光景のなかに中里史観が描かれている。

  7. 22巻の二十にある駒井甚三郎と米友のやり取りを読んで、やはりこの二人が主人公であるに違いないと思った。白骨の巻は小説全体の半ばを過ぎた辺りにあるが、作者の考えをかなり明確に述べているように思う。江戸幕府の人事政策の功罪、勝安房守に対する評価、身分制度という枠組みの重さ、男女の愛憎と生きざまなどなど。お君の死に遭遇した米友の懊悩ぶりが真に迫っている。

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